障害を持っていることは不幸だ。でも救いを求めないのはもっと不幸だ。

思考メモ
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こんばんわ。くらげ@めまいモードです。

人間気圧計の雪予測

冬っていつ!?

本日は曇天の月曜で結構憂鬱な週の初めでしたね。しかも明後日の23日から24日にかけて54年ぶりに11月の東京の雪になるとか。 あおは「雪が降ったら冬でしょ、でも、11月は秋でしょ。11月に雪降ったらいつから冬なの?」と頭抱えてます。誰か答え教えてやってください。

雪降る夜の…腰痛

ボクらは天気の変動に体調がついていかないことはnoteや前のブログ記事でも書いていますけど、既に体調に異変が起きています。ボクは気もそぞろでいつもの落ち着きのなさが倍増していて仕事に集中するのが結構難しく難儀しています。

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あおは昔から雪が降る前はひどい体調不良に襲われることがあり、子どもの頃は大雪の前の日に頭痛で倒れ救急車で運ばれて強烈な鎮痛剤を打たれたことが二回あるとのこと。

最近はそれほどではないのですが、めまい・耳鳴り・頭痛・腰痛・その他の症状が出まくるので大変です。で、今日も耳鳴りや腰痛に苦しんでいますので、確実に雪は降るでしょう。

対処はあるの?

この手の症状はボクはおそらく耳から来ているのですが、あおのようは発達障害者も同様に天気の変動に苦しむのはなぜなんでしょうかね。メカニズムが解明されて対処法が確立すればいいのですが。

ボクの対処は「頭痛ーる」という気圧変化予測アプリをスマホに入れていて、気圧が急変する前に車の酔い止めを飲むことです。酔い止めは三半規管を安定させるからか、気圧系の不調の緩和にも効果があるのかな、と実感しています。

しかし、酔い止めも薬ですし、人によっては逆効果になる可能性もあるので素直に耳鼻科でめまいの検査を受けることをおすすめいたします。

不幸だけども「救われる」ことはできる

その「すくう」ではない

さて、本日の本題。 ブログのネタになりそうなことをあおと話していたら「伊勢エビのクレーンキャッチャーってあったよね」という懐かしいネタが出てきました。そこであおが「伊勢エビもすくわれるのに今時の人間ときたら」とぼそっとつぶやいて、ボクは飲んでいた水を噴出したわけですが。

「救われる」ってなんだ

でもまぁ、障害者長いことやってますと「救われる」という言葉は複雑なことを含みます。いや、普通の人にとっても難しいことなのでしょうけども。

根本的な問いとして、よく「救われる」たとかいいますけど、救われるとは何でしょうか。 金があればいいのか、健康で障害がないことか、結婚していて子どもがいて・・・ということなのか。幸せであると言うことか、「普通である」というなのか。

でもまあ、普通であるのも難しわけですけど。

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確かに私たち障害者やマイノリティといわれる方々は普通の人に比べて「救われない」が多いでしょう。身体や認知の欠陥、性別の差違や出身地の問題、そのような「どうしようもない」ことを抱えて生まれてくることはどう考えても「幸せ」とはほど遠いものです。

「生まれないこと、それを考えただけで、なんという幸福」

当たり前に生まれるという幸せから遠いところにいる時、「こんなつらい思いをするためになら生まれてこない方がましだ」ということも何度もあります。普通の人がうらやましい、妬ましいと思わない日がないほどに黒い濁流が心に流れることもあります。

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ルーマニアの思想家、エミール・シオランは「生まれないこと、それを考えただけで、なんという幸福、なんという自由」と「生誕の災厄」という本に書き残していますが、まさにそんな「生まれてきたことへの恨み」が精神に充満していることもあります。 障害を持っていてこのような気持ちを持たなかった人というのは少ないと思うのですが、いかがでしょうか。

「救われる」とは「救われることを信じ続けること」

救われる、とはこのような「境遇」から脱出することでしょうか?それとも、文字通り「死ぬこと」でしょうか。

ボク自身を考えると、「生誕の厄災」の呪詛の通り、「生まれてこなければよかった」と思うことは日常的なこと。同時に「生きていてよかった」と思うこともある。その境目でバランスを取りながらなんとか日常を送っている。

ボクにとっての救いとは何か。障害は治りようがないし、これまでの人生のゆがみもそうそう治るものでもないし、これまでの人生のどうしようもない失敗も消しようがない。救いようがないような状態です。

それでも、「将来はよくなる」と信じられること。言い換えれば「救われると信じ続けること」ができています。こう感じられるようになったのは長い話があるのですが、それはさておき。

とはいえ現状はそう恵まれたものではありません。金もないし仕事にもいろいろと問題があります。でもまあ、「生きてりゃいいかな」となんとなく感じられること、それはある意味での「幸せ」なのは違いないのでしょうね。

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この「幸せ」をどう生かしていくかをずっと考えています。別になにもする必要もないっちゃないんですけど、まぁ、人の縁だけは恵まれてきたので、その縁をどこかでお返ししたい。そのために、まず自分の周りの人たちを大事にしていく。そういう当たり前のことを地道に進めていきたい。

ボクの先輩も色々活動しているので、見習っていきたいところではあります。

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まぁ、概念的な話になってしまいましたけど、そんなに気張らず、親からもらったラ・フランスをありがたくいただくとしましょうか。

最後に

あおの一言。 「すくわれない気持ちを持っていると足下をすくわれたりするからきをつけなよ。詐欺師とかに。」

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