パラリンピック修理工場に人間の尊厳を見たってお話(下)

思考メモ
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こんばんわ。急に体調を崩して二日間更新できまなかったくらげです。ブログよ、私は帰ってきた!

さて、「修理工場は眠らない パラリンピックを支えた職人たち」の雑感後半です。

障害者もスポーツするでしょ、そりゃ

ボクはパラリンピックにはあまり興味はないのです。障害者スポーツのアスリートとしてすごいのは分かるのですが、そりゃ、障害者だってスポーツするだろう、位の意識なんですよね。なので、オリンピックと同程度の注目度でした。やってりゃ見る程度です。

ただ、どうもこの感覚は一般的でないようで、障害者がスポーツをするというと感動的なものだそうです。なのですが、なぜ感動的なのかはわからないんですよね。ボクが出会った障害者というのが普通にアクティブ過ぎて感覚が麻痺してる模様。

調理師免許を持つ全盲とかペースメーカーを埋め込んでるマラソンランナーとか人工内耳埋め込んでる空手選手とかライブに行くのが趣味の聴覚障害者とかがいろいろとね・・・。

人間の尊厳は道具に宿る

なので、パラリンピックの番組でもアスリートより「職人の技術」がすごかった。規格が統一していない古いのから最新までの車いすや補装具を限られた部品と工具で手際よく修理していく。そのテクニックとプロ意識のすごさに圧倒されました。

しかし、番組が進行するにつれて修理する一つ一つに障害者アスリートの歩んだきた道行きにストーリーがあることが判明していきます。

ボクは人物に対してはあまり感情が動かないのですが、モノに対しては涙もろいのでこの時点でがーっとなります。

で、そのストーリーには「人間の尊厳」が強く色出ていました。障害があっても強く生きる、ということを自分自身に証明するためにスポーツを続け、パラリンピックに出場している人がこれほどにもいるのかと驚きました。

人間とはどのような状態になっても希望を失わないことが「尊厳」だと思っています。その尊厳をスポーツで証明することもりっぱなパラリンピックの目的なのか-、とスポーツ嫌いは目から鱗でした。

で、その尊厳の場でアスリートたちが万全に戦えるように準備を尽くす職人たち。その響働の結晶にすごく感動したわけですよ。

4年後には東京でもパラリンピックが開催されますが、そのとき、日本でももっと障害者が「尊厳」を持つ機会が増えていくといいですし、この職人の中に日本人もいるといいなぁと思いました。

まぁ、今日はこれくらいで。では。

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