【閑話休題】障害者の顔が見える記事ってどんなんだろうってお話

思考メモ
jarmoluk / Pixabay

こんばんわ。くらげです。ちょっと軽い話題で流します。

青春の痛み

元同級生より「ブログ見たよ!ところで、君の古いサイトのタイトルを検索したら見つかったよと衝撃の証言をいただき、ググったところ当該サイトが電脳空間にさまよっていることが判明しました。

最終更新日が2003年9月(19歳)なのですが、基本的なセンスが一切成長してないことにワタシ涙が止まりません

主に悪い意味で。

ご供養のためにサイトを完全消滅させたいのですが、GeoCitiesのログインID及びパスワードを完全に忘れたのでどうしていいかわかりませんね。

嫁は「まぁ、青春の破片がいつでも見られるからいいじゃないと笑ってますが、ええ。

ちなみに、こんなサイトになります。笑いたければ笑え。

顔の見える障害者とは

さて、先ほどのブログで、障害のある人の「顔」のような記事を書きたいという話をしましたが、早速2名が取材させていただけることになりました。

https://kurage-official.com/2017/01/04/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E7%B5%B1%E6%8B%AC2/
近いうちに記事としてアップできるように準備を進めていきます。

ところで、「障害者の顔が見えるような記事とはどんなものになるのか、と悩んでいます。

相模原障害者殺傷事件での報道では被害者が匿名とされ、被害者一人一人が「障害者」というシンボルでしかなかった、という批判を前提に「顔がある」障害者像をブログに残しておきたいというのが動機なわけですけど、どういう軸を切り取れば良いのかと。

障害から来る困難を書くのか、それとも障害者として生きてきたことを描くのが良いのか。生い立ちを詳しく書くのか、それとも印象的なエピソードを書くのか、色々と考えています。

ターゲットはどこだ

迷ったときはターゲットを明確にイメージするとよいらしいです。そこで想像してみますと、あまり障害者を知らない人に「障害者とはどのような人か」をお伝えさせていただければ
となると、「障害者も人間として生きている」という生の生々しさを表現できれば良いのではないでしょうか。

まぁ、インタビューする相手の話のどこが「生々しいか」は聞いてみないとわからない。ただ、漠然として聞くのではなく、「生きている」という事実をあからさまにできればいいのかなーと。

とはいえ、やってみなきゃわからんところも多いし、読者が多いブログでもないので、実験的に色々やっていきましょうか。

ぼちぼち頑張っていきましょう。

ま、今日はこれくらいで。でわ。

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