こんばんわ。くらげです。
あお、命の危機
一昨日書いたあおの会社のエアコンが修理不可能になった件ですが、全体的に交換のために工事が必要となって最短で10日はかかるそうです。
なお、あおは意識朦朧で帰ってきましたので、明日から当面仕事休ませようか、と考えているところです。冗談抜きで命に関わるので。
とりあえず、あおのところの社長と連絡とりつつあおの体調を見ながらなんとかなりそうなポイントを探しているところですね。
あと、OS-1とか塩飴とか唐揚げとか買ってきてクーラーがんがん効かせて回復させたり。いや、食欲はあるんですよね。幸いながら。
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エアコンがないという淘汰をくぐり抜けた人たち
あおは暑さに弱いので下手に冷房を切ると夜中に目が覚めて朝まで寝られなくなることもあるので、基本的に冷房は切れません。もう電気代は生命と健康の維持費です。あきらめてます。
わりとエアコンひとつないだけでも体調が安定してない人はあっさり死にますよね。昔はそういう子供は自然に死んでいったのだろう、と思うとまぁ色々生命の神秘について考えざるを得ません。
そういう「淘汰」をくぐり抜けてぴんぴんしてるのがまぁご老人の元気な層なのかもしれませんね。まぁ、これからどんどん弱体化していくのですが。そういう世代が弱体化しきったときに「弱者」の概念はどう変わるかな、というのは興味深くはあります。
金と障害の釣り合い
ボクは人工内耳という最先端の医療技術でコミュニケーションが維持できているので、「最適な環境でないと困る」というのは身をもって理解しています。
で、この人工内耳をつけるために税金が300万円以上かかっています。その価値がボクにあるのか、というとあんまり自信が無い。じゃ、人工内耳をつけないで手話通訳などに頼るか、というとこちらも人件費が高くつきますね。じゃ、何も支援しないから、となると本当に何もできないので生活保護かなぁと。
そう考えていくと、障害者というのは金がかかるものです。その金を誰が負担するのか、を考えると科学の力で生かすよりも自然現象で「淘汰」されたほうがよほど「健全」で「金のかからない」社会だったかもしれません。
人間は他社を救うために進歩してきた
でも、人間は常に「人を助けるために」進歩してきた生き物だと思うんですよね。助けられるものは助ける努力はその時代時代で精一杯してきたし、「弱いから殺せ」とポジティブになった時代と地域はそんなに無いんじゃないかと。(そういう時代や地域でも弱い人の反抗の神話がよく残っているわけでして)
以前は科学の力で救えなかった命を救える可能性が広がったことは絶対にいいことです。その反面、「社会的なコスト」が増えたことも事実です。しかし、一度救えてしまったものを見殺しにするものそれはそれで社会的な負担になりますよね。
どんなこともメリットとでメリットは表裏一体です。救える人が増えれば増えるほど問題も増加していきます。死人は埋めるだけでいいのですが、生きてる人はそういうわけいきませんから。
政治は命を守るもの
まぁ、この折り合いをどうつけるかは哲学とか金とか倫理とか宗教とかいろんなものを統合して考えなきゃいけないわけですけど、一般人にそんな暇も知識も無いので政治や行政があるわけですけどね。
そういう意味では、政治はやはり命と直結してるよなぁ、と常々思いますね。特に「障害があるとLEDの交換ができなくても当たり前」みたいな制度設計がされてるのを知ったりするとですね?
白熱電球をLED電球に無償交換する東京都の事業で、障害や高齢で自分では電器店に出向けない人が対象から外されていることが分かりました。都の担当者は「省エネ行動が取れる人へのご褒美の意味合いがある」 と説明しています。https://t.co/LCrMdgrCYo
— 毎日新聞 (@mainichi) July 12, 2017
踏ん張りましょう
まぁ、今日はこれくらいで。皆さん、命を守りつつ踏ん張りましょう。でわ。