こんばんは。くらげです。
あお、体調絶賛不調中
先日以来体調を崩しっぱなしのあおですが、台風21号の接近に伴い激しい咳が止まらなくなり、昨日、病院で受診したところ「咳ぜんそく」と診断されました。
原因は気圧の変動が疑われていて、台風前後にぜんそくがひどくなるのは珍しくないそうです。
原因と病名がわかったのはいいのですが、咳ぜんそくはどれくらいで完治するかわかりませんし、あおは体質的に咳ぜんそくの薬である気管拡張剤があまり使えず先行きがかなり不安な状態です。
そういう状態は本人が一番つらいのはもちろんのこと、看病する側もつらい。咳き込みすぎてのたうち回っているのに対してできることは少なすぎます。また、本人もつらさを何度も訴えるのですが背中をさするくらいしかできません。無力感を感じます。
理不尽な怒りも湧いてくる
そういう状態が数日続くと、理不尽にも体調を崩している人にいらいら感を感じることもあります。僕の場合は「つらい」というのが何もできない自分を責められている気がしてイライラしてきちゃうんですね。こういうときはだいたい自分自身も疲れていて心のバランスを崩しやすいときなんですが・・・。
もちろん、ここで怒ったり怒鳴ったりしてもこちらのストレスがその時ちょっと解消されて後から自己嫌悪がきて問題は深刻になるだけなので、トイレに閉じこもって深呼吸するとかで対処してますけど。
怒っちゃいけないけど怒りたい
こういう「心配しすぎて心配かける相手に理不尽もイライラする」って誰にでもあるもんなんですが、意外とそれを表に出すのは憚られるものがあります。
なぜかと考えるとこのような怒りが理不尽なものだと理解しているからで表に出すのは悪いことだ、と考えてしまうからでしょう。また、相手に悪い、という気持ちもあります。
「怒ってもどうしようもないし怒ってはいけないであろうこと」ってのは世の中に無数にあふれていますけど、自分が感じている怒りが悪いものだとか間違ってるとか考えると「つらい人」に向き合うのってすごく辛いことになるんですよね。
「こんな困ってる人にいらいらする自分はだめな人間だ」となって精神的な負担がどんどん増していくと。介護なり看病なりだけでなく「子育て」でもよく感じるところだと思います。
アンガーマネジメントの前に感じること
最近はアンガーマネジメントに関する本が増えています。
「怒りを当たり前としてどうコントロールするか」というマネジメントのようですが、「相手に対するいらいらでつらい」という対処にはすごく有効だと思うんですよね。
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ただまぁ、こういう「弱い相手への怒り」って外に出さなくても自責の念みたいなのでがんじがらめになってつらくなることもある。
なので、「自分が理不尽であっても怒りを感じるのは当然だ」みたいな感覚は身につけておきたいところです。怒りを悪いものだと思えば思うほど自分は間違ってない、相手が悪いんだと自己正当化と他人への糾弾が強くなりがちですしね。
その上で「怒りをどうコントロールするか」みたいなテクニックを学ぶと効果的なのかなと。
僕の場合はあおに苛ついたらとりあえず半分意識の外に置くようにしています。意識の中にいない、というだけで結構精神的な距離感をとって楽になりますね。まぁ、大変なんですけど。いろいろと。
踏ん張りましょう
というところで今日はこれくらいで。皆様、適度に怒りを発散しつつ踏ん張りましょう。では。