こんばんは。くらげです。
あえて答えを出さない勇気
soarというマイノリティに焦点を当てたメディアがあるのですが、その中でちょっと気になる記事を見つけました。
この中では発達障害の日本最大のネットメディアである発達ナビの編集長の鈴木さんが対談の中で「簡単に納得しない、モヤモヤを抱えておくというのもひとつの「勇気」なのではないかと思うんです」と発言されたそうで。
詳しくは記事を実際に読んでほしいのですが、ネットメディアに実際に関わっている方が「メディアが断絶を起こさないために、結論を出さないことも大切」というスタンスを口にされることは結構勇気がいることではないのかと。
正しい情報ってなんだろう
ボク自身は発達障害に関わっている常に思うことは「正しい情報って何だろう」ということです。先日、noteでも書いたことなんですが、「発達障害を語る」ってどこか常に正しさと乖離しているところがある。なぜなら、一人ひとりの「障害の違い」が大きすぎるからです。
その中でメディアから出てくる記事は「発達障害はこういうものです、だからこうしたほうがいいです」というある種の「テンプレート」的な記事になりがちで、それも一種の「結論を出す」ことであろうと。
もちろん、「結論」が無い記事ばかりでも困るのですが発達障害者一人ひとりにぴったりくる「結論」ってあるんですかね、と考えるとなんというか「結論の隙間」みたいな余地が欲しいな、と。そうでないとメディアが出した結論に重ならないところがつらくなることもあるので。
ボクの彼女は発達障害で気にしたこと
「ボクの彼女は発達障害」は徹底して「ボクの考えたこと」としてある意味「ミニマム」になるように注意して書いたところはあります。極力「発達障害のあるあおはこうで、ボクはこうした」という文脈だけで語るようにしたということですね。
これは「発達障害のある『あなた』に当てはまるとは限りません」という突き放したスタンスでもあるのですが、専門家でもなくなにか訓練を受けた身でもないボク自身についての「誠実」ではありました。
答えを求めない勇気
ただまぁ、メディアの読者としての自分はどうかと考えると、自分の興味がある範囲はともかく、そうでない分野は「専門家」の「結論」を読んでそれを良し、としていますね。ですから、メディアが「結論を出さない記事」を出したらあまり読まない。
なので、せめて自分の興味のある範疇ではメディアが出す「結論」を読んでも一度自分の中で再構築してみる。そこに違和感を見出す。そして自分の「結論」を得ていく、というモヤモヤした作業を繰り返していくという「リテラシー」というか「隙間を持つ勇気」「結論をアウトソーシングしない勇気」が求められるのかなーと。
・・・。この記事でも結局「結論」だしてんじゃん!バーカバーカ!
踏ん張りましょう
というわけで今日はこれくらいで。皆さん、結論に急がないようにしながら踏ん張りましょう。でわ。