こんばんは。くらげです。
何を書こうか悩んでる
ふと「これまで何本ブログを更新したのか」と調べてみたら、すでに350本を超えていました。
昨年11月8日に開始してほぼ毎日書いてりゃそりゃそのくらいにはなるよね、と思うのですが、我ながらよく書いたものです。
しかし、ここにきてブログが「ネタがない」「内容があまりに概念的にすぎる」という物足りなさを感じているので、もう少し読み物としてしっかりしたものを書きたいんですが、どういうネタを書いたらいいのか悩んでいます。
社会問題にコミットするとか
現在、ツイッターからほぼ撤退しているので社会問題についてあまり考えることもなくなったということはどこかで書いた気がするのですが、それもそれで「民主主義の国に住む人間」としてどうなのよ、と思わなくもなく。
ならば、このブログで「自分の中の社会問題意識」を書いて考えを深めていけばいいんですが、長文で社会問題を論ずる、というのもどこか恥ずかしいというか「怒られるんじゃないか」という恐れがどこかにあるんですよね。
ツイッターはそのへんは良くも悪くも「書き捨ての場」だなと再確認するわけで、そのあたりの蓄積性がブログの強みでもあるのだなと。
書くだけがやりたいこと
ただ、その怯えがどこから来ているのかともう一歩深めて考えると「私が社会問題を語るとき、社会問題も私を見ている」というニーチェみたいなことで身構えるのかと。
最近は語る以上はなにか行動しなければ言葉がウソっぽいくなるんでは?と、なかなか素直に「ここが問題だ」と書けなくなっているんですね。
行動を伴わない言葉は無力ではないかとふと書いていて虚しくなって、ここ数年、実際に「行動」することを模索してはいるのです。
例えば、発達障害当事者会をたちあげようとしたり、政治家の選挙活動の手伝いをしようとしたり、ですね。でも、いずれも途中で頓挫して今に至っています。
なぜ挫折するんだろう、と考えたら、ボクがやりたいのは本当に「書くこと」でなにか社会を変えようという強いモチベーションがあるわけでもない。書くために何かをするけど、何かをするために書きたいのではないのですね。
伝えること・考えること
ということで、「書くだけの無能」というところで色々「外側」に関する問題意識をあえて鈍らせているところはありますし、そもそもたかだか1日1000PVもないこのブログで発信してもなにになるよ、みたいな。まあ、これも一種の傲慢でもあるのですが。
で、このブログの原点に立ち返ってみると「語ることで世界を認識する」ってところがテーマなんですよね。書くこと・語ること・伝えることでこの世界はできている、と。
ならば、一度、「思う存分思うことを書いてみる」ってことをリハビリしてもいんじゃないかなと。世界をもう少し広げてみてもいいんじゃないかな。足元の考えはだいぶ固まってきましたしね。
まぁ、「言葉で自分の世界を作っていく」ことを忘れないで進めて行きたいと思います。
踏ん張りましょう
では、今日はこれくらいで。皆様、言葉と行動のバランスを取りつつ踏ん張りましょう。でわ。