こんばんは。くらげです。
ツイッターでヘルプマークが話題ですが
さて、ツイッターでは時折 「ヘルプマークをつけているに関わらず暴言を受けた」 というツイートが流れてきます。
本日も妻のあおが自転車と接触して文句を行ったところ 「ヘルプマークをつけたキチガイには謝らない」 みたいなことを言われてかなりショックだったそうです。
まぁ、ヘルプマークに関する誤解・偏見はクソのようにありまして、ボクもあおもヘルプマークをつけていますのでかなりその誤解には頭にくることがありますね。
でまぁ、ここのところ、ヘルプマークは「HELP」とか大きく書いておけよ、的なことを言ってるツイートがバズっているのですが、今回はヘルプマークのデザインの意味、みたいなものを考えてたいと思います。
ヘルプマークとは
まず、ヘルプマークとはなにか、ということですが、ヘルプマークは平成24年に「東京都」が「周囲から配慮を必要とするために助け合う社会を実現するため」にデザインしたマーク です。(著作権は東京都が持っています)
最初は都営地下鉄に限定して配布されていましたが、少しずつ使用される範囲が広がり、現在では京都府や兵庫県などの地方自治体、民間企業でも利用されています。
ヘルプマークはあくまでも「お願い」のマーク
ところで、ヘルプマーク自体になにか 法的な根拠があるわけではありません。
東京都のヘルプマークの説明を読んでも「ヘルプマークを身に着けた方を見かけた場合は、電車・バス内で席をゆずる、困っているようであれば声をかける等、思いやりのある行動をお願いします。」というあくまでも 「お願い」 をしているだけですね。
ですから、ヘルプマークを見かけても「何もしない」ということが何かのルール違反になるわけでもないのですよ。
あくまでも「困ったことがあるかもしれないから見守ってあげよう」とか あなたの良心に期待するものです。
ただ、ボクは 「あなたの」良心はヘルプマークを見たときになにも動かないほどに鈍いものではない 、と期待したいのですが、いかがでしょうか?
ヘルプマークのデザインの目的
さて、ヘルプマークのデザインですが、なぜ文字がドーンと入っているような「わかりやすい」ものではなく、赤字に白十字、というものなのでしょうか。
まず、前提としてヘルプマーク以前にも内部障害者や発達障害者の間で「見えない障害のマークを作ろう」として各地で様々なデザインのものが自然発生的に生まれていました。
しかし、まぁ、正直、デザイン的にね?そのね?今でも生き残ってるってごく僅かなんじゃないか…。
そんな中、東京都が発表したヘルプマークは スタイリッシュなデザイン ということで東京都内の「見えない障害者」にはホント衝撃的でした。
このデザインについては東京都は日本グラフィックデザイナー協会に協力を求めて、赤色と「+」マークは「助けを必要としている」、ハートマークは「助ける気持ち」を意味しています。
このデザインは高く評価され、2017年には 日本工業規格(JIS)で「配慮や支援を必要とする方々を示す記号」として採用 されました。
つまり、デザインとしては経済産業省が認めているものなんですね。「わかりにくい」というなら経済産業省に除外を求めてくださいね。
なぜ「わかりにくい」のか
とはいえ、ヘルプマークは「何のマーク」なのかわかりにくいのは事実だと思います。しかし、これは 「ヘルプマーク」ゆえの限界 があるんですね。
ヘルプマークが対象としているのは「配慮や支援を必要とする方々」ということで、 何か特定の障害や病気を表したものではありません。
さらに言えば「配慮」が必要な人が使うことが前提のため、常に「HELP」を求めているわけでもない場合もある。
ボクもヘルプマークをつけていますがこれは人工内耳を埋め込んでいて、事故があったときにそのままMRIで検査されたりすると内部の壊れてしまうので『注意してね!』という意味でつけていて、普段は特に何も配慮は必要ありません。
要は「見守ってくださいね」という意思表示から深刻に支援を求める人まで幅広く使うことためにどうしても『曖昧』にならざるをえない。
それならもっと具体的なマークを作ればいいじゃないか、とのご意見もあるでしょうけども、 実際に大量にありますので、ぜひ一つひとつ覚えて、見かけたらご配慮いただければと存じます。 よろしくお願いいたします。
「ヘルプマーク」が話題になっていて、自分も驚くほどそうした知識がないことに気づき、内閣府や厚労省のサイトを見て自分用に早見表を作りました。よろしければ皆さんもご参考にどうぞ。 pic.twitter.com/fUTCPApffo
— たられば (@tarareba722) July 13, 2016
ヘルプマークをつけることそのものが啓発だ
まぁ、皮肉を言ってもどうしようもないのですが、ヘルプマークの意義は「一見問題がなさそうな人でも実は様々な困難を抱えていることがある」ということを可視化することだと思っています。
人工関節や内部障害から精神障害・知的障害、難病etcがある人はひっくるめれば人口に2〜3割にはなるんじゃないでしょうか。
それがなぜ「見えないのか?」といえばそれこそ 「一見してわからないから」 という理由でしかないわけです。
ですから、少しでも困難があれば「わかりやすいマーク」をつけることで少しでも生きやすくなるなら理想的ですし、逆に ヘルプマークをつけること自体が障害や病気の啓発活動 になります。
ですから、「わかりにくい」からつけない、ではなく、 わかりにくいからこそ積極的につけて見せびらかしていきたいな 、と思う次第です。
踏ん張りましょう
では、今日はこれくらいで。 皆様、困難は外に出しつつ踏ん張りましょう。 では。