「教科書を読めない子ども」は未来ではなく現在の問題 ー発達書害者の視点からー

こんばんわ。くらげです。本日は地方ろう学校の恩師がこちらに研修でいらしたので、一緒にご飯を食べてきました。いろいろと興味深い話ができたのですが、これはまた後日。では、本日のコラムです。

ネットで話題の「教科書が読めない子ども」

現在、ネットではこの記事がけっこうバズっているようです。

AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?

多数のトピックスに渡る記事なので是非全文を読んで欲しいのですが、ネットの反応を見ると、「約5割が教科書の内容を読み取れておらず、約2割は基礎的な読解もできていない」可能性があることに驚いている方が多いようです。その驚きは、コミュニケーションの前提である「日本語の読解力」を共有していない人が多数いるのでは、という不安感から来ていると感じますが、皆さんはどうでしょうか。

「読解力が下がっている」のは本当か

この記事の反響を調べてみると、「日本の子どもの読解力が落ちていて将来的にとんでもないことなりかねない」という危惧の声を多く見ることができました。しかし、ボクはこの反響にかなり違和感があります。「既にそうなっているのに放置されている」からです。

まず、「子どもの読解力が落ちている」が本当なのか疑問に感じたのでちょっと調べてみました。

ここでは、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)という調査を指標に考えてみました。文科省のサイトでは目的を義務教育修了段階(15歳)において、これまでに身に付けてきた知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る。としていて、2000年から2012年という短い期間ではありますが子どもの読解力の変動を測る目安にはなりそうです。

調査結果から読解力だけを抜き出すと、日本の平均得点は以下の通りになりました。

2000年 522

2003年 498

2006年 498

2009年 520

2012年 538

グラフにしてみると、こんな感じ。

2003~2006年は落ち込んでいますが、2009年と2012年では平均得点が向上して2000年のテストより平均得点が高くなっています。2015年調査の結果はまだ発表されていないので直近の比較はできませんが、この4年で問題が顕になるほど急激に落ちたとはちょっと考えにくい。

見過ごされてきた「読解力がない子どもたち」

とはいえ、ボクが「だから何をしなくてもいい」というわけではありません。むしろ逆です。

(PISA2012年調査国際結果の要約より抜粋)

このテストでは読解力を「読解力とは、自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考し、これに取り組む能力である」としていますが、この能力がない・もしくは最小限しかない割合が(レベル1a未満・レベル1a)は2012年では9.7%になっています。つまり、「テキストを理解して社会参加をすること」が難しいと思われる子ども達は少なくとも16年前から10~20%前後は存在していたわけです。

記事では「それが「読めない」子どもたちをそのままにしているとしたら、将来、大変なことになりかねない。」と仮定形で書いていますが、「既に大変なことになっている」ことがこのデータから読み取れます。

「教科書を読めない」子どもと発達障害

LD(学習障害)とは何か

なぜこれほどにも文章を読めない方いるのか。ボクはLD(学習障害)の存在も無視できない要素だと思います。学習障害とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」などの能力が著しく低い障害です。日本ではLDの割合が3~4%と推測されており、読解力のない子どもとかぶるところが多いと考えます。

「文章を読めない子ども」は実在する

記事では「たとえ入学前に差がついてしまっていたとしても、差がなくなるようにするのが、公教育の責務だ。中学を卒業するまでには、全員が教科書レベルの文章を「読める」ようにしたい。」とありましたが、それを達成するには逆説的に、「どうやっても文章を読めない子がいる」というところからスタートする必要性があるだろうな,と感じました。

AI時代と「障害」の定義の拡張

発達障害者は昔から一定数存在して、昨日今日ぽっとでた障害ではありません。ただ社会の複雑化したこと、ホワイトカラーの仕事が増えたことなどの要因が重なった結果、問題が顕在して「特別支援教育」につながりました。この先、AIの登場でより一層「知識重視社会(知識基盤社会)」が進むとすれば、「一定の知識を処理出来ない」ことが障害(少なくとも社会的ハンディ)とみなされることもSF妄想ではありません。ならば、今、「発達障害児の支援」を手厚くすることは、将来の「ハンディのある子どもたち」を支援する上でパイロットモデルになるのではないでしょうか。

特別支援教育の理念

文部科学省は公開してる特別支援教育の理念「障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである。」という一文があります。もし、かなりの割合の子どもが本当に「教科書すら読めていない」のなら、この特別支援教育の理念をさらに普及し、「一人ひとりに合わせた教育」が不可欠です。

「読解力」のある方々へのお願い

また、「読解力」がある方々にもお願いがあります。読解力がない人は「モンスター」ではありません。普通に隣で生きている存在です。「不気味」「ホラー」と遠ざけるのではなく、「支援の手」をさしのべてはいただけないでしょうか。少なくとも、軽蔑することだけはやめていただけないでしょうか。これが心からのお願いです。ちなみに、ボクはカタカナを正しく読むのが難しいという問題があります。これだけ文章を書けても、「文章を読むこと」が苦手ということもあり得るのです。

終わりに

記事から遠く離れたところに着地しましたが、まぁ、それもボクの文章として。まぁ、ボクはボクで大変辛く苦しいことですが、発達障害があることで、どんな「惨めさ」があるのか、読めない・書けない・計算できないことがどれだけ社会なハンディになるのか、社会に訴えかけることも必要なのでしょうね。ちょっとした声しか持ちませんが、無理なくやっていきたいと思います。では。

くらげ

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