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バリアフリー✕バラエティ「バリバラ」に愛の原点を見たお話

こんばんわ。くらげです。本日はちょっとスナップ写真を撮りにぶらりと散歩してきました。あまり風景を見て歩かないので、「いい場面」を意識しながら街中を歩くのは新鮮で刺激になりました。何枚か撮った写真をさらしておきます。

写真とはまんま「批評性だなぁ」とか感じましたけど、そこは今度話すとして。では、本日のお知らせとかコラムとか。

今週のnoteを更新しました

今週のテーマは「仕事の環境」を整える必要性です。健常者でも「仕事の環境」は重要な問題ですが、私たち障害者の場合は「可能/不可能」を大きく左右する問題、というのを語り合ってみました。

くらげ×寺島ヒロ 発達障害あるある対談 第31回 「特別鼎談:違いを認めることが『理解』につながる!?環境作りは大事だよ!」ってお話

今回も特別編として無料で公開しておりますので、この機会に是非ご覧いただければと。

テレビに必要なのは「出演者への愛」なんだよ

さて、本日のコラムは、平等だの正義だのいろいろ書きたいことがあったのですが、本日のバリバラで全部吹き飛んだので本日のバリバラの感想を書きます。

バリバラとは

日本一攻めている番組といわれるバリバラ。障害者のための情報バラエティで、「すべてのマイノリティが生きやすい世の中」を目指して様々なテーマを独特のセンスで軽妙に仕上げて放送しています。

コメンテーターの玉木さんからして脳性麻痺の支援員という異色な存在。

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バリバラには「障害者の給料」「障害者のセックス」「介護者側の不満」などという従来の番組ではタブー視されていたネタにも遠慮なく切り込んでいます。たまに「エグすぎ」「救いがない」というような回もあって賛否両論な番組でもあります。

有名なのは「日本一面白い障害者を決めるお笑いコーナー」として企画された「SHOW-1」。寝たっきりの方が自分の状態をネタにしたり、顔面麻痺の女性二人が「私たちは美しい」と漫才したりとまぁ「笑っていいのか」というぎりぎりを攻めまくったネタで、放送されるたびにネットが「大丈夫なのかこれ」とざわめきますね。

あと、今夏は24時間テレビの裏番組で「検証!『障害者×感動』の方程式」と題してオンエアして大問題(?)になったことを覚えているかもしれません。出演者全員が黄色いT-シャツを着て、「障害者感動もの」のテンプレートを茶化して、感動ポルノを完全に否定していく、という壮絶な作りでありました。

まぁ、ボク自身、バリバラに2回出演し地上波でプロポーズした、というアレな経験ありますけど・・・。あああああ!

「障害者と性の悩み」

さて、そんなバリバラですが、以前はEテレ金曜日午後9時から放送していましたが、昨年4月からは日曜午後7時というゴールデンタイムに放送しています。ボクからすると「その時間はあまりテレビの前にいないよ」と思いますけど、それはさておき。

今日はたまたま見ていたのですが、本日のゴールデンタイムに流れていた企画が「障害者の性の悩み」でした

ゴールデンタイムに「性の話」を持ってくるのは健常者を扱った番組でもそうないですけど、バリバラはあっさりその枠を超えてきますね。「セックスが感じなくなった女性が彼氏に申し訳ない感じがして別れてしまった」とか「障害者夫婦のセックスレス問題」とかあけすけな感じで、「よくゴールデンタイムに流したなぁ、すげえなぁ」と感動しましたよある意味。

ただ、テーマが「きわどい」ながらも非常に丁寧な作りで、「セックスとはなにか」を短い時間で深く描いていて、「セックス」と「愛」の違いとかを考えさせられました。障害で不感になった女性には「障害でできないところはできないとしてできるところで精一杯楽しむことが肝要」「障害者の自分の受容が出来れば性的なことも楽しめる」というアドバイスを。このアドバイスを送っていた一人が大橋グレースさんで、彼女もかなり吹っ飛んだ恋愛歴重ねてるだけあって、すごく納得感ありました(笑)

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障害者の性を「イロモノ」ではなく、その方の人生に対する番組の真摯なエールを感じました。(今回の番組を担当したディレクターは2回ほど会ったことがあるのでなおさらそう思います)

「障害」として片付けない視点

後半では「セックスレス障害者夫婦」が登場しましたが、セックスレスの問題を「障害だから」と片付けるのでなく、「障害者カップル」が陥りがちな「ヘルパーと介護者」の関係に陥っていることを掘り下げていました。

「夫が妻の介護的な関係に疲れ果ててセックスを拒否する」のがセックスレスの原因であり「ヘルパーを依頼して介護は介護、夫婦関係は夫婦関係として分離させてお互い余裕を持つこと」が改善策として提案していました。

いやはや「介護は家族がするもの」という伝統的な価値観からは「セックスレスの解消にもヘルパーを頼むのは有効」ってのは出てきませんし、「障害者は清く正しく美しく」みたいなスタンスからも出てきませんよ。いやはや、すごいのを見た、としか言い様がありません。

他人のふり見て我がふり直せ

とはいえ、他人事としてみるだけでなく、ボクとあおの二人も障害者カップルとして「介護者とヘルパーの関係」に落ち追いってないかとか内省させられましたね。うちらは「相互依存」というところはやはりあって、「どちらかが倒れたら共倒れ」という恐れは常にあります。ですから、使えるサービスをうまく使って、最低限な自立はお互い出来るように工夫はしているのですが、これからも「どちらかがいなくなってもいいように」準備していきたいですね。

ボクの生涯の目的は「ボクが死んでもあおが生きていける」環境を作るか、ボクが先に死なないこと。今から死ぬことを考えるのも楽しいことではないけど、それが「つきあっている責任」を取ることなのかな、と受け止めています。もちろん、平均寿命まではお互い生きたいですけどね。

で、こういうのを書いているさなかに屁をこき、「おっさん、めっちゃ臭いんですけどー」と文句言われています。そんな締まりのない日常を送っております。まぁ、そんな緩さで長生きできればいいな、と。では、今日はこのくらいで。では。

くらげ

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