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国立大学合格発表から考える障害者の声を重ねる大切さというお話

こんばんわ。くらげです。

新入生よ酒に気をつけろ

本日は多くの国立大学の合否発表があったらしく、ツイッターでも多くの方に春が来ているようです。

まぁ、5月が過ぎればだいたいの花はしぼむんですけどね。いきなり出席率がたんと落ちます。

あとは、大学サークル新歓ツイートがRTされまくってますけど、一応は教育関係の末端にぶら下がっていた身としては「酒の問題だけは起こさないでね♡」と声を大にして言いたいです。いや、ほんと。最近は容赦なく学生やサークルを処分するところもありますんで。

障害学生よ語りたまへ

ところで、年々障害のある学生数は増加してます。今年も(公式な数字だけで)数百人を超える障害のある学生が全国の大学に入学します

以前のブログ記事でも取り上げましたが、最近の障害学生支援環境は10年前と比べものにならないほど質量共に向上しました。

こんばんわ。あおが珍しくハイテンションで帰ってきて「これ、明日の朝まで眠れなくて明け方に頭ガンガンぶつけるパターンだ」と戦々恐々しているくら...

というか、10年前は障害者の『くせに』大学にいくの?という偏見が当たり前だったので、マイナスの地点がプラスに転じたくらいのインパクトはあります。

ただ、着実に増加している障害学生ですが、彼ら自身の社会に向けた主張はあまり大きくならないなぁ、と素直に感じています。

公的な資料や各大学の支援情報、教職員向けの支援方法などはそれこそ無数に溢れるようになりました。一方で、学生当事者が何を考えているか、どのような生活をしてどう学業を送っているのか、というリアルな姿は未だになかなかイメージしにくいものがあります。

これは障害のある高校生が進学するにあたって、大学生としての自分を想像するための材料が少ないということでもあります。そういうモデルケースの少なさも障害者の進学率の低さに繋がっているのかな、と。

障害者としてのボク自身がそれほど積極的に情報提供をしているわけでもないのでブーメランが頭にぶち刺さるのではありますが、「生身の障害学生」を想像できる話をもっと積み重ねていく必要はあるのかな、と感じています。

というわけで、障害のある大学生の方で「こういうことを話したい」というのがあればぜひお話聞かせてくださいね。

まぁ、現状は障害学生自身が支援を求めて大声で叫ばなくてもよくなった、という証左ではあるのでしょうが、まだまだネット上に集まる障害者の声、というのは少ない。ましてや、若い障害者の声は貴重です。

障害のある大学生よ、もっと語りたまへ。

君たちの青春はただあるだけで希望の芽吹きなのだ。若草の香りする疾風なのだ。春の暁のように闇を切り裂く力なのだ。その鼓動を高らかに謳え。

というところで、皆さん、語っていきましょう。では。

くらげ

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