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「障害者は贅沢だ」と言われたら「あなたほどではないですよ」と返しましょうというお話

こんばんわ。くらげです。

障害者が支援を受けることは「贅沢」なのか

障害者支援はどこからが贅沢か

障害者が支援を受けることに対してよくある批判として「贅沢だ」というものがあります。

たとえば、障害のある人がどこか旅行に行きたいがなかなかバリアフリーの宿がない、とか言うとですね「障害者なのに旅行に行くなんて贅沢だ」とか「アニメに字幕がない」というと「障害者のためにアニメに字幕をつける必要がない、贅沢なわがままをいうな」とかいわゆる
「クソリプ」がくることが結構あります。リアルでもネットでも。

このような意見を出す方の背景は様々なのですが、悪意ではなく「健常者にないサービスがあるのはずるい」という「贅沢さ」が問題なようです。

たとえばタブレット

ここ数年で発達障害支援の必需品となったタブレットですが、特別支援学校ではともかく、普通の教室で使いたくても使えない発達障害児が多いそうです。

「なぜ他の人はタブレットを使っていないのに発達障害というだけでタブレットを使っていいのか」というクレームが同級生やその親、関係のない先生などからあるからです。

確かに一般的にいえばタブレットは贅沢品ですが、障害児にとっては「それがないと勉強ができない」ものであることも多いんですね。

たとえば手首が動かないために鉛筆が持てない子供がタブレットならフリック入力でノートを作れるとか、目の見えない子が教科書を写して拡大して読むとか、応用の幅はとても広いです。

それでも「ほかの生徒に悪影響」とか言われるので結構頭が痛いのですが、逆にいうと障害のある子がタブレットを使えないことでの悪影響は特に考慮されていないんですね。

特別支援学校は贅沢か?

そういう支援の必要があるなら特別支援学校に通ったほうがいい、という意見もよく目にしますけど、こっちのほうが「贅沢」なんですよね。

特別支援学校で生徒ひとりあたりにかかる経費は普通学校の10倍程度で800万円くらいです。

普通の健常者の通う学校に支援員を配置してタブレットとかで導入した方が社会的には「贅沢」ではないです。

でも、「コストがかかるから」「贅沢だから」特別支援学校を廃止せよ、という意見は聞いたことが無いですね。

人工内耳は贅沢なのか

子供のことばかりでもありません。

ボクは人工内耳をつけていますが、人工内耳の手術費用は400万程度です。ですが、健康保険や高額療養費制度、心身障害者(児)医療費助成などで1万~10万程度です。ボクのために車2台くらい買えちゃうほどの保険料や税金が投入されています。

一方、補聴器ならあまり聞こえませんが税金からは10万くらいの負担で済みます。

これをもって「人工内耳は贅沢品だ」と言えますでしょうか。

障害年金

あと、障害者がずるい、と言われる大きなところに障害年金がありますね。

月5〜7万ですが、もちろんこれだけで食べていくのは無理です。しかし、障害者に仕事は少ないし、あっても給料はそれほどお高くないですよね。

ちなみに、ボクのお給料は障害者年金がなければ生活保護になったほうがいいレベル。年金を足してやっと「人並み以下」ですが、「贅沢」ってなんでせうね?

障害者は贅沢だから、と障害者年金を取り上げたらボクは生活保護を受けるしかなくなりますが、トータルでの社会的負担は生活保護のほうが遥かに高いわけです。

見えるものだけで判断しているだけ

こういうところから考えると、障害者に向かって「贅沢だ」というときは、実質的に金銭的の話だからだめなのではなく「贅沢そうに見えるからだめ」という気分の問題がメインなんだとわかります。

先程のタブレットが例えば音を読み上げる機械だとかスクリーンリーダーだとかが10万円の専門機器なら逆に文句を言う人は少ないでしょうね。たとえそれが普通のタブレットより10倍高くても。

障害者の生活や障害特性を知らないし、知るつもりはなく、ただ文句を言いたい人がメインなんでしょうね。

ネットですれ違った人に許可を求める必要はない

とはいえ、ネット越しにも『お前は贅沢だ』と糾弾されると凹むこともあります。

そういうときはですね、「なぜあなた(健常者)に私(障害者)が支援を受ける許可を得る必要あるの?」と考えましょう。ネット越しに罵倒するやつはあなたにカネを払うのでも支援してくれるわけでもない。

あなたが支援を受けたいのなら、それは存分に主張していいし、その問題を解決するのはリアルでの交渉と法律です。ネットの向こうの雑音ではありません。

このコストは憲法が保障する

絶対的にかかってるお金はいわゆる障害者のほうが健常者より遥かに高いです。

しかし、そのコストを国が負担する根拠は憲法にあります。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

ですから、堂々と権利を行使すればいい、それだけです。

贅沢?それがどうした?

どんなに我々障害者が望んでも手に入らない「五体満足」という贅沢を健常者は持っていますけど「だからどうした?」「そんなの贅沢じゃない」と感じる人のほうが多いでしょう。

それと同じで、支援は「贅沢」じゃないですよ。自然にないと困るものです。だから、お互いに「贅沢だ」と足を引っ張り合うのは「無駄」ですよね。

お互いがおたがいの「贅沢さ」を満喫していきましょうよ。

そのためには感謝の気持ちが不可欠なのですけどね。皆様生かしてくれてありがとうごいます。

明日も踏ん張りましょう。

柄にもなく金の話をしてしましましたが、結局は「生きていくコスト」を誰がどう払うか、の問題です。というわけで、明日も自分の生きるコストを自分で払えるくらいには頑張ります。

皆さん、踏ん張りましょう。でわ。

くらげ

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