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仕事を退職するにあたってのご挨拶ってお話

本日で退職した

本日をもって5年勤めた会社を退職した。

有休は体調が不調だったり妻の通院付き添いだったり転職に伴う準備に使っていたので、土日を挟んでノータイムでの転職になる。

とはいえ、月曜日も午後からちょっと事務所に顔を出せばいい程度なので負担感はないのでできる芸当だ。

まぁ、私の仕事は年度末から年度始めが一番忙しい仕事なのでギリギリまでは在籍してたかった、という事情もあった。実際に忙しかったし、自分がいなかったら面倒なことも何件かあった。(計画的に片付けておけ、という説教は受け付ける)

忙しいままに退勤したこともあって、いまはまだ会社をやめた、という実感は全くない。自然に来週もいつもの電車に乗って出勤するんじゃないか、というくらいにふわふわしている。ただ、どこからしら「寂しさ」を感じている。そんな現状だ。

次の仕事についてはこちらの記事に詳しく書いているから、退職と次の仕事が前後するけど、職場での思い出などを書いておこうと思う。

5年間を振り返って

前職に転職したのは全く深い事情はない。当時、うつで退職し、就労移行支援施設に通いながら転職活動をしていたけど、なかなか仕事が見つからなかった。妻(当時の彼女)には「もし失業給付が切れても無職だったら捨てる」と宣言されていてかなりピンチだった。

9月が過ぎても仕事が見つからず、これはもうだめか、というタイミングで母校のろう学校に本の売り込みに行ったら「仕事の募集があるけど?」という紹介を受けて、そのまま面接→実習の流れになった。そして正式に入社が決まったのが10月31日だった。本当に滑りこみセーフだった。

前の仕事ではいわゆる公務員系の仕事で事務職が苦手なのは重々承知していたけど、転職活動をして「障害者は仕事を選ぶ余裕なんぞない」という事実に気付いてもいた。とりあえず仕事を決めねば別れてしまう、という危機感が最も大きかったのだ。

みんな大変だった

こんな私を押し付けられた上司は本当に大変だっただろう。なんせ、障害者を雇ったからよろしく、と、なんの研修もなく私をおつけられた。なにか口頭で話せば聞き間違いなのかなんなのかよくわからないことをし始めるし、メールで書けば意味がわからない返信を長文で返してくる。そして仕事は進まない。たまにパニック的なことを起こしたり寝込んだりする。そんな態度が悪い問題社員を押し付けられた上司は会社の中で誰よりも理不尽であったに違いない。

私自身も、様々な問題から職場にいる、ということがもはやできなくなっていた。これは上司が悪い、環境が悪い、というよりも私の努力不足の面も大きくて、誰が悪いというか「能力が合わなかった」ということだと思っている。

人と組織の違い

とはいえ、上司との仲が悪かったか、というと意外とそうでもない。上司は上司でかなり気を使ってケアしてくれたし、私自身もそれに応えようしてはいたのだ。そこにまぁ信頼関係、というものはあった気がする。それに、なんやかんやいって全く仕事ができないか、というとそうではなくて、変なところで有能だったのは間違いない。課長はこういう変に有能なところは買ってくれていたので、面白いやつだ、と思っていたようだ。

一方で、会社という組織が私をどう扱うか、ということはこの5年で変わっておらず、私に対して障害を持ちつつキャリアを形成する(ぶっちゃけ昇給のお話)ということはなさそうだし、学内で異動して文章力を活かせるところに…という気もなかったかと思う。つまりは飼い殺しであろう。そういう姿勢が見えるのは心底嫌だった。上司や課長はこういう会社の姿勢と私の置かれている立場を踏まえた上で慎重にフォローしてくれていたのは本当にありがたく思っている。

職場には良くしてもらえた

しかしながら、人事課や上層部が私に対して無理解で冷たいか、というとそいうでもない。個人として話すならとても面白い人たちだった。しかし、人間でなく組織人としていろいろ考える必要があって、それからすれば私の待遇という意味ではあんまり良くなかったのも理解できる。しかし、気持ちのいいものでもなければ心にヨドみもできる。そういう辛さもあった。

仕事をやめるとき、上司や課長から「十分のフォローできなくてすまない」という言葉があった。しかし、それは上司や課長の責任ではない。更に言ってしまえば組織の問題であって人が絡む問題でもない。更には社会の諸々もある、という話だ。ただ、課長たちが「済まない」と思っている、というだけで自分は十分に報われているのである。

恩を返せなかったなと

むしろ、私自身の反省はそういう大きな話よりも、普通に挨拶が苦手だったなとか、もう少し態度よく仕事できてたらな、という面だ。障害の面はどうにもならないけど、もう少しフレッシュさがあれば、という後悔である。あと、普通の仕事を普通にできなくて迷惑をかけたな、というのもある。支援…というかいろいろなフォローするという恩に恵まれたけど、それに十分答えられなかったなあ、ということが一番心残りだ。

でも、そんな私に対して「頑張ってくれた。ありがとう」と課内の皆様から言われたのは本当に嬉しかった。あまつさえ、送別会を開いてもらって、立派な清水焼きのお茶碗を頂いた。本当にキラキラと光っていて上質の器だ。もったいなくて今は居間に飾っている。

なんでこんな自分にここまでしていただけるのだろう、と今でも思っているんだけども、多分、私も頑張ってたいのだろう。でも、気を張り詰めすぎていて自分では何を頑張っているかすら理解できなかったのかもしれない。

たぶん、この会社で働く私はいろいろな制限に囲まれていて、それだけで疲れ果てていた。でも、その疲れ果てていることはみんなわかっていたんだろう。ありがとうございました。

惜しまれてやめる

今回の仕事は惜しまれてやめることができた。これは人生ではじめてのことだ。いつもは逃げるようにやめてしまうから。だから、やっぱり、最初は理由もなくここにきたけど、意味を持ってやめることができた。私はあなたの部下であってよかった。あなたと同僚でよかった。本当にありがとうございました!私は幸せでした。

次の仕事に向かって

仕事をやめて寂しい。でも、この寂しさを抱えて、次の仕事に向かっていこう。次の仕事は「人のため」だ。これまでの仕事は自分を支えることすら精一杯だったけど、この職場で培ったものも必ずある。それを次に活かしていこう。前の職場があったから今がんばれている、という瞬間があるはずだ。そう信じて、前に向かって進んでいこう。

このくらいで

では、今回はこれくらいで。皆様、踏ん張っていきましょう。では。

くらげ

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