Categories: daily

もしも老いがこの世から消えたなら/障害者の現状から「ディストピア」を見るという話

こんばんは。くらげです。

ツイートがバズりました

新年早々、大変暗いツイートがおバズり申し上げた。こんなお年玉はいらんのや。金をくれ、金を。具体的には、noteで書いたコラムでも読んでサポートを送ってくれると死んでも感謝します。幽霊になってあなたに取り付きます。是非に。

こういう暗いツイートがバズるのは昨年の出生者数は86万人であったという衝撃的な数字が出たことが影響しているのだろう。急速な少子高齢化は様々なところに問題が生じさせるのだけど、介護の現場はその歪みが表出しやすいところの一つだ。

「介護施設難民」が増えているいう問題

老人の介護施設自体は増え続ける一方だけど、地域によっては数にどうしても偏りが生じる。(保育所問題もそうだ)また、部屋やベッド自体は余っていても特に若手のスタッフが足りずに入居者を受け入れられないこともあるようだ。そのため、認知症などの家族が施設に入れず、自宅介護を強いられることがある。

介護のために離職する人も増えていて、ここ数年は年間10万人前後で推移しているのだけど、一度離職すると再就職が大変だとか、その間の収入が途絶えるとか、そういう困難さもある。そして、介護の大変さから心中や殺人事件も相次いでしまっている。介護の問題は、社会全体の活力を奪ってしまう大きな課題だ。

しかも、この先、この状態は良くなるとは思えない。介護施設は増えても介護で働く人は少なくなっていくだろうから介護難民は増えていくのだろう。子どもから介護を受けられたらまだマシで、老いた夫婦の間とか、もしくはだれも介護をしてくれなくて苦しい思いをしながら死んでいく、という人が急増してしまうんじゃないかと思う。

私はいま36歳なのだけど、介護施設に入る機会が増えていくという75歳になる約40年後には果たしてリクリエーションの内容を心配するほどの余裕があるかどうかはとても怪しい、ということでツイートのが上記のツイートである。

解決の方向性が定まらない

まぁ、この問題解決のためには国が介護に金を出すしかないのだけど、今、日本がどういう方向に向かっているかはお察しのとおりであるし、この方向性が良くなる見込みもない。海外から介護者を連れてくればいい、という意見もあるけど、その頃には海外にいって出稼ぎで介護をしている人もいる可能性があるくらいだ。

では、姥捨山…つまり、安楽死や尊厳死の制度を整備すればいいかといえば、私は「命の選別」につながる行為は基本的に反対であるのは別にしても、もし制度が整ってもそこまできっぱり自身や家族の命を諦めてしまうのも難しいだろう。

逆に、「老いても死なないこと」が悪いことになってしまったら、「死ぬ権利」が「死ぬ義務」にすり替わってしまうこともありえるだろう。それは一つの解決ではあるかもしれないけど、そんな社会に生きたいか、というとあまり生きたくはないなと思う。

テクノロジーは老いを滅ぼすか?

しかし、現在はすごいスピードでテクノロジーが進歩している時代だ。ここのところ、海外のスタートアップではヘルスケアとテクノロジーの融合が盛り上がっているし、人間の機能を機械で置き換える医療技術も発達している。

なにもサイボーグ技術は夢物語ではない。私は素ではほとんど音が聞こえないが、頭部に機械を埋め込む人工内耳という装置を使って電話もできるほど聴力が上がった。視覚障害もカメラと脳を結ぶことである程度鮮明な画像を判断できるような技術が開発中だし、身体的な衰えをカバーするロボット装具が次々販売されている。

また、認知症の研究も進んでいて、テクノロジーはいつまでも「老い」という問題を放置しておくとは思わないし、この分野は将来的に莫大な利益を生む鉱脈となるはずだ。

この国が掲げる「ムーンショット型研究開発制度」の目標の一つに「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」というものがあるけど、これが実現すれば、極端な話、脳が動くならいつまでも働き続けることができるかもしれない。

また、その脳も「老化」は避けられないのだけども、脳の機能が解明されれば、脳とコンピューターを直結させることで、脳の衰えをカバーできるかもしれないし、そもそも脳の老化自体を遅らせる技術が発達するかもしれない。

2050年というと、私が生きていれば65歳になる頃で、ちょうど高齢者と言われるタイミングだろう。しかし、高齢者になった頃には「老後」という言葉が消えているかもしれない。ボケもせず、機械の体で働く高齢者が日本社会を動かしているかもしれない。そうなれば、介護問題というものすら存在しないことになる。

テクノロジーは社会保障のコストを下げるか?

ところで、今、世界的に「手話」を使う聴覚障害者が少なくなっている、という話がある。これは補聴器や人工内耳が発達したことで、聴覚障害者でも手話を使う必要がなくなっている、ということだ。(その功罪について興味があるなら各自で調べてほしい)日本でも、人工内耳の手術費用は医療保険が使えるので数十万の自己負担で済むし、場合によってはそれも還付される。また、人工内耳手術に適応する年齢や聴力の範囲も広がってきていて、今後はより多くの人が人工内耳をつけるようになるはずだ。

一方で、これまでの通り手話を使っている「ろう者」は手話通訳者の不足で困ってる、という話もよく聞く。手話通訳の需要は増えているが、国や地方自治体や手話通訳者への予算を増やさないので、手話通訳者の待遇は悪化している。

なぜ人工内耳にはお金が注ぎ込まれて、手話通訳にはお金が注ぎ込まれないか、ということは邪推してしまえば、「そっちのほうがお金がかからないから」だ。人工内耳は1回あたり数百万円かかるが、うまくいけば「それっきり」だ。特に支援も必要とせず、「自立」した働き手担ってくれる可能性は高い。

一方で、手話通訳は手話通訳者を派遣するために一人1回あたり1万円くらいかかってしまう。(そしてだいたい2〜3名は必要とする)それが積み重なれば、コストとして見た場合は人工内耳が圧倒的に優れているだろう。

障害者問題が示唆する「ディストピア」

これが示唆することは、技術があって国が本気を出すならば「高齢者を介護する人」よりも、「老化しないテクノロジー」に大金を出すであろう、ということだ。そして、多くの国民もそれを歓迎するだろうけど、同時に「何歳になっても働き続けなければいけない」という苦痛も感じるのではないだろうか。

たとえば、手が動きにくいから手の動きをサポートするロボットアームを買うとする。それが数万円程度で買えるとしても、まだ手がしっかり動く人に比べれば結構大きな負担となる。(メガネをつけている人なら、メガネにお金をかけけなくていい目のいい人を羨むことがあるはずだ)そして、その全額を国が払ってくれるほど、この国が金払いがよくなるとは思わない。

しかも、高齢者になればなるほど、身体や認知の衰えが目立っていく。つまり、去年は右腕を機械化して、今年は腰の制御プレートを入れた、来年は目を電子化しないと…と次から次へと「改造」するところが増えるだろうし、そのメンテナンスも大事になるだろう。

この「改造」やメンテナンスの費用を楽々にまかなえる人は、悠々自適に困ることのない生活を送ることが出来るかもしれない。では、この購入費やメンテナンスを賄えない人はどうなるか。「心身的な機能が全部健全である」という前提が続いているなら、老化による心身の欠陥を放置しながら働くことは出来ないので、かなり無理にローンを組んでも機械化や認知症の治療を受けようとするだろう。そして、そのローンを払うため、動き続ける身体と認知症にならない医療に支えられて、死ぬ瞬間まで働き続けなければいけない、という社会になるかもしれない。

これは「利用できるテクノロジー」によって、その人の能力が階級化する、ということでもある。今、デジタルデバイド(情報格差)によって収入に格差が生まれる、という話があるのだけど、身体をいつ、どのタイミングで、どのくらいの性能のものと置き換えたり装備できるかで、収入や能力、生き方が大きく変わってしまう、という世界が来てもおかしくない、と思っている。

使える器具による格差

そして、そのテクノロジーをいかに利用するかで「格差」が生まれるのは、実は障害者の分野では少しずつ進行していることだ。

わかりやすく言えば、メガネを買えないほど貧乏な家庭に生まれた人と、メガネくらい簡単に買ってもらえる家庭に生まれた子供のどちらが将来的に学力があがり、収入が多くなるだろうか。もちろん、メガネを買ってもらえるほうだ。

それと同じことが、補聴器を買える/買えない、人工内耳をつける/つけない、視覚障害者向けのPCを買ってもらえる/もらえない、電動車いすを持てる/持てない、というよう格差が、学力や収入・社会生活能力に大きな影響を及ぼしている。このことは「障害者」という狭い世界で起きていることだから、それほどアラが目立たないけども、このような「格差」がそのまま「高齢者」という大きなカテゴリーで起きたときには、格差の問題がグロテクスな形で噴出するかもしれない。

老いることは問題だ。同時に「老いないこと」もまた問題になっていく社会がこれから突入していくかもしれない。「介護されない」かわりに「いつまでも働き続ける」という辛さを背負うかもしれない。あるいは、安楽死が合法化され、疲れ果てて死を選ぶ人が増えていくかもしれない。どういう社会になるかは空想するしかないが、いずれにしても、今の高齢者と同じように「老いて死ぬ」ということは贅沢なものになるかもしれない。

今の障害者問題を将来の高齢者問題とリンクさせるために

ただ、一つ言えるのは、今生きている「障害者」が抱える問題は、この先、高齢者社会になったときに急速に広まっていく問題の雛形である。したがって、社会はもっと「障害者の生きるスキル」に注目する必要があると思う。生まれつき、あるいは若くして障害という生きにくさを持った人たちは(私も含むが)独特の生活様式やライフハックを持っている。その中には、高齢者がすぐにでも生きる上で参考にできるライフハックや哲学がたくさん含まれているはずだ。

コロナが落ちついたら、このような「障害者が高齢者にライフハックを伝える」という企画を行ってみたい、と考えている。もし、興味がある、という方がおられたら、TwitterのDMなり、問い合わせフォームからなりで連絡いただけると幸いである。なにか一緒に面白いことを考えませんか。

これくらいで

さて、今回はコレくらいで。皆様、よく老いることが出来るように踏ん張っていきましょう。では。

くらげ

This website uses cookies.