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APHY(新しいパソコンが欲しい病)の症状とその対策(下)

(上より続く)

APHY(新しいパソコンが欲しい病) 最近、またそぞろとAPHY(新しいパソコンが欲しい病)にかかっています。これは新しいガジェットを買わ...

目的と手段の逆転

家人は続けて「だいたいあんたは○○しますから新しいパソコンを買いたい、ポメラを買いたい、タブレットやスマホを買いたいと言うけど、本当にやりたいことのために道具を買うならいいけど、道具が欲しいから目的を作るのは邪道です」と説教するのですが、「新しい道具を買えば何か新しいことが達成できそうな気がする」と反論しました。

それに対して「それ、n度目。何か一つこれまで買ったガジェットで何か成し遂げてから言いなさいね」と切り捨てる家人に対してボクは己のふがいなさに泣くのでした。

実際、何をしたいのか

ここでちょっと我に返ると、ボク自身何をしたいのか、という問いにはすごく重いわけですよ。

英語の勉強がしたい、小説書きたい、テキストエディタを覚えたい、知的生産したい、とか色々あるんですけど、それに通底するのはなんなのだろうかと。

もちろん、「書くこと・読むこと」が共通してるんですが、特に書くことも読むこともどうしようもなく楽しい、という気分で接しているわけでもなく、一種の義務感があるわけです。

なので、「なんかわからんけどこの義務感を果たすためには未だ見ぬ新しい何かが導いてくれる」という信仰がどこかにあるわけでございます。

というわけで、神の作りたもうまだ見果てぬ何かを買うために秋葉原に行かねばならぬ、と家人に行き先を告げましたところ「てめぇは髪でも増やしていろ!」と外出阻止します。泣いていいですか。

道具ではない、意思の問題なのだ。

いやまぁ、新しいガジェットを買えば何か新しいことが出来る、というのが言い訳なのはうすうす自分でも気づいているわけです。

何か新しいことをやりたい、というモチベーションはやり始めると急激に下がって、3日過ぎるとだいたい底に達しますよね。 そんな自分のふがいなさを「道具が悪い」と責めるわけでして、実のところ問題は人間の習慣の慣性力なわけであります。

なので、何かを達成するのに必要なのはまだ買っていないガジェットにではなく、既に転がっているパソコン等にあるわけですな。あと、具体的な目標決め。

刹那的な目標でなく、なにか「人生のテーマ」のようなモノを探せればいいなぁと。そんなモノをどう探したらいいのか悩むわけですけど、たぶんこういう「どうでもいいこと」を言葉にすること、文字にすること、そして考えること、を続けることでできるのではないでしょうか。

というか、それ以外のことは破片もつかんでないわけで。なので、当面はポメラを武器に人生とは何かをつかむきっかけ探っていきたいです。

というわけで、「ポメラを使い続けるモチベーションを上げるための日記」はこれくらいで。

では。

くらげ

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