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枯れ果てた公園に「障害者としての孤独」の原点を見たというお話

本日の夜の新幹線で東京に戻る予定のくらげです。 こんばんわ。

帰省中はうだうだ

こんにちわ。 甥っ子にお年玉を渡そうしたら宿に財布を忘れてきてアババババとなったくらげです。宿に戻って財布取ってきて無事渡せた次第。初...

こんな記事を書いておいてなんですが、今回の帰省はどこかに観光に行くわけでもなく、宿とうちでうだうだしていました

あまり出歩くのが好きでないのと親に車で送ってもらわないとどこにも行けないので遠慮があります。

といえども、帰省最終日ともなりますと職場へのお土産を買う必要もありますので、歩いて15分ほどのサービスエリアにお買い物に行きました。

公園は寂しかった

ここは公園や温泉と一体化した構造で、車を駐車したままSAを出て、公園を観光したり、温泉に入ることができます。 ですので、あまり想定はしていないでしょうが、近隣住民が歩いてSAに入ってお土産も買うことが可能です。

嫁と徒歩で向かったのですが、ただお土産を買うだけなのも癪だったので、ついでに公園も見て回ろうかと。

夏場ですと花が咲き乱れ、子連れが大変多く混み合う公園ですが、真冬で寒風が強いこの時期はほとんど人通りがありません。

雪で覆われない北国の冬というのもただだたすっきりしない茶色い地面が延々と続くものでして、公園も枯れた芝生や枝だけになった丸裸の樹しかない。

その中を嫁と「だれもいないねー」「寒いねー」と言い合いながら歩いていました。

寂寥とした真冬の公園を二人だけ歩いていると、他の人々も時間もどっかに去ってしまった気がします

春から夏にかけて、真昼の、花が咲き乱れ、子どもたちの声がこだまする公園こそが本来の姿かもしれません。

しかし、障害があるボクにとっては、その光景を「よいもの」として共有することは難しい。

子どもの高い声は苦手ですし、真昼の色とりどりとした花の色はどこを見て良いかわからずに疲れてしまうこともある。昼の光は眩しすぎてなかなか外に出る気も起きない。

ボクにとっての世界とは、常に「茶色」だった気がします。他の人たちが緑の公園を歩くときも、ボクにとっては常に茶色い大地が広がっていました。

他の人が何か楽しんでいるときでも、ボクは聞き取ることに必死でしたし、何か自分が間違いをしていないか、と常におびえている状態でした。

ボクにとっての孤独とは、むしろ、人に囲まれている時にこそ感じるものなのです。

ボクらにとって、この茶色い地面が続く、真冬の吹きさらしの公園こそが、一番楽しめるときなのだと。

茶色い大地と捨てた街

公園は丘を削って造園したもので、元々の小高い丘は見晴らしの良い高台になっています。そこに上ると、遠くまで見晴らすことができます。

一人では何度か登りましたが、嫁と登るのは初めてです。

数分かけて登ると、「眺めが良いねぇ」と嫁。眼下には田んぼや畑が広がり、その合間に建物が立ち並ぶ。

嫁は「あんたが生まれたところもなかなか良いところだねぇ」と風に飛ばされそうな帽子を押さえながらいいました。

ボクにとっては、この街は16歳で捨てたところです。自分がかって生まれ育ち、親がいるところですが、ここが「よいところ」とは素直に受け入れがたい気持ちもあるのです。

でも、嫁が「良いところ」というなら、そうなのでしょう。 なにもない、ぼんやりした寂寥が広がる土地かもしれないけれど。 眼下に広がる街は、もうボクが入れるところかもしれないけれど。 それでも、ボクに縁がある街には間違いないのです。

ボクは「そうだね、ここはいいところだね」と嫁に言いました。

ボクの中にある、茶色い土地のイメージは間違いなく、この街のものです。でも、少しは好きになる努力をしてもいいのかな、と少し許せる気分になりました。

冬の大地は死んでいない

茶色い土の下には無数の種が眠り、樹には堅いつぼみの中で花が力を蓄えています。 寂寥とした大地は死んではいない。いつか来る春を迎えための準備が着々と進んでいます。

ボクの中に大地に眠っているものはあるんだろうか。ボクの中に広がる孤独な土地に春が来たとき、なにが芽吹くのだろうか。

ふと見ると、横で嫁が手を握って立っている。もしかしたら、その時もそう遠いことではないかもしれない。

その答えを探すためにも、今度は色づく季節に、この公園にまた来たいと思いました。

あ、お土産は地元のラフランスとサクランボを使ったお菓子を買いました。安くて良いですね。

さて、これから東京に戻ります。

皆様の大地に春風が届きますように。では。

くらげ

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くらげ

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