こんばんわ。昨日に引き続き体調が極悪なくらげです。気圧の変動しない国に行きたいです。
障害者の2つの意味
さて、ちょっと発達障害関係のニュースをあさっていたら、こんなコラムが見つかりました。
45歳。障害者として生きていくと決めた私を待ちうけていたのは… | LITALICO(りたりこ)発達ナビ
43歳で発達障害が判明し四苦八苦な方の手記ですが、なんというか障害者に「なっていく」過程が興味深いですね。
支援を受けるようになってから、私は自分の発達障害特性が強くなったような気がしていました。
だけどそれは、初めて「発達障害である自分」としっかり向き合ったからではないかと思います。
先にご紹介した障害福祉サービスを受けるための聞き取り調査や、障害者職業センターでカウンセラーと振り返った自分の特性のまとめ、そして自分への理解を深めるために発達障害について学習したこと、そうしたことが重なって「これも自分の発達特性だったんだ」と意識するようになったのだと思います。
診断がつく前は、無意識に「人並みに頑張ろう」と無理を重ねて頑張り、結局空回りしていたような気がするのです。
そして、「どうして私はいつも上手くいかないのだろう…」と悩み続けていたのですね。
ボクの持論ですが、障害者には二通りの意味があります。
一つは文字通り「心身の問題で身体に不自由がある人」。もう一つは「障害をアイデンティティにする人」です。
ボクが自分のことを「障害者」という時は主に「アイデンティティとしての障害者」の意味です。
ですから、上の記事ではまさに「障害者」というアイデンティティを作り上げる間の苦闘なんだろうなぁ、と思います。
特に発達障害者は最初から障害者なのではなく、障害者に「なっていく」もので、そして、障害者になっていくほど、障害そのもので苦しむことが減っていくように感じます。その辺は以前に記事に書きましたけど。
これは野田さんだけじゃなくて、「発達障害がある」とわかってからのほうが変人化することもあるんですよ。でも、これ、診断されたから悪化したんじゃなくて、元々変だったのをさらけ出せるようになったからなんですよ。
ボク自身も発達障害があると診断されてからのほうが発達障害が重症化している気がしています。しかし、あおからみれば「昔からそんなんだったよ」とのことですし、逆に変人であると認めてからの方が
だいぶ心理的な負担が減っていますね。変であることを認めたから変であることが負担にならなくなってきたというか。下手に「変じゃない」と決めつける方がよほどストレスになることもあるので、子どもが変だと気づいたら、変になれる空間と時間を与えることもほんと大事ですよ。っか、絶対に与えてください。
これ、普通の人も「変なところ」は誰にもあるわけでして、だからこそいろんな風(以下自粛)。子どもを変態を育てたくなかったら変なところを押さえつけないで放置しておくのが(法に触れない限りは)よかろうと存じます。
障害を自覚する
「障害者になっていく」というとすごくネガティブなことに聞こえるかもしれませんが、アイデンティティとしての障害者という自覚することはボクにとっては大事なことでした。まぁ、この自覚を2回してるんですけど。
1回目は中学2年の時にろう学校に転校したことで起きました。それまでは健常者の中で自分の何がおかしいのかもよくわかりませんでしたが、周囲に耳が悪い人が当たり前にいる環境で「あ、耳が悪くても良いんだ」と自覚したことは忘れられません。校長先生から転校1ヶ月で「だいぶ顔色がよくなったね」と褒められたのも良い思い出です。
もう1回は最近です。あおと生活していく中で、自分の能力の偏りや金銭感覚の怪しさ、偏食さを自覚していき、「あ、自分って思った以上に発達障害重いわ」と理解してそこから色々生活を改めていきましたね。こっちはまさに「障害理解」と「生活環境の改善」がリンクしていましたね。っーか、現在進行形なんですけど。
障害者の「生きやすい環境」とは
ところで、自分の経験上、「障害を受け入れる」ってのは逆に「弱くなる道」なんですよ。
障害に対して弱音を吐くようになるし、障害があるから甘えはじめますし、いろいろわがままにもなります。でも、それが無理をしないことの第一歩ですね。自分で自分を許していく作業です。
いい環境とは「弱いものが弱いなりにそれなりに生きていける」状態です。だから、障害者の生きやすい環境は「弱いでいられる場所」です。こういう場所が一つあるかないかで生きやすさが大きく変わります。
だから、「自分が弱くなっているなぁ」と感じたら、それはとてもよいことです。
皆さん弱くなりましょう。全力で弱くなれるように努力しましょう。
そして、障害者の周囲の皆様、障害者の「弱さ」を許してあげてくれませんか。その「弱さを許す」ことが一番の支援になるからです。よろしくお願いいたします。
では、きょうはこれくらいで。おやすみなさい。
なお、嫁は今日のブログをサボることを許してくれませんでした。
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