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「ボクの彼女は発達障害」の源流は「侍魂」にあり?影響力の不思議のお話

こんばんわ。くらげです。

ネタ切れです

毎日濃密に記事を書いていて我ながらよくネタ切れしないなぁと感心しますがたまにネタが思い浮かばない日というもあり、キーボードを叩いては消しては・・・を繰り返します。今日はそれを10分くらい繰り返していてあーでもないこーでもないとなる。

いや、ネタ帳にストックはたくさんあるんですけど、どれもこれも熱量を持って勢いよく書けかというとそうでもない。スイッチが入らないのです。

おもむくままに書くだけです

ボクのブログは本来の意味での日記系ブログなので、綿密に段組をくんで調べ物をして考えて書く、という作業はほとんどしません。ポメラを開いて適当に一日で起きたことを思い出し、そこからインスピレーションが降りてきたら一気に書く、それだけです。

もちろんアイデアのメモはするのですが、メモを書いた当時の「面白さ」を夜には忘れているのであまりメモは活用できないですね。そういうのはとっととツイッターに放流してたほうがいい。

ブログの神様が降りてくる

普通半年も毎日ブログ書いていればある程度コツが掴めるモノだと思うのですが、ボクの場合は本当に言語化できる作法というのがなく、頭の中で一瞬で「あ、コレ行ける」という確信のスイッチが入るんですよね。どういうときに入るかは未だに謎ですね。

これはどうもADHD的な話の飛び具合がブログではいい方向に動いているようです。ほんとちょっとしたことが瞬時に何種類もの概念と一気につながって雑念が止まらなくなることが多々あるのですが、そういう雑念を書き出すことで一つのブログになる感じですね。

ただ、こういう書き方だと真似しろとも教えることも出来ないです。何ヶ月もブログを書いているとブログ論とかを書く方が多いようなのですが、本当に「論」も「方法」もなくてただただ「半年毎日神が降りてブログが書けたから今日もなにか降りてくるだろう」という確信があるだけです。もう電波系スピリチュアル系の領域であります。真似しないでください。

テキストサイトが文章力の源流

ところで、ボクのこのブログスタイルってどこで習得したんだろうと考えていてたら、大昔、SNSの概念どころかブログすらなかった時代、ボクは無料のホームページ作成ツールとHTML辞典で簡単なテキストサイトを作っていたことを思い出しました。

テキストサイトとはまぁ本当に素人の読み物的な感じのサイトなんですが、このへんの詳しい歴史は下のサイトを見てください。当時書いていたサイトは流石に消えていましたけど。

まぁ、なんですかね、「読まれること」そのものに価値を見出すのはテキストサイト時代の影響は確実に受けているし、アレで「人に読ませる文書を書く」ことの基礎ができました。本を出せたのもそういう経験があったからなんでしょうね。

影響力とは素晴らしい

で、昨日、学研編集部より「ボクの彼女は発達障害の読者から手紙が届きました」と手紙が転送されてきました。なんでもボクかのを読んで人生が救われた、みたいな内容でした。

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ボクかのを読んでパートナーや身内と関係が修復したという感想は幾つも頂いていて、こういう声を頂いたとき本当に本を書いて良かったと思いますし、「文章の力」というものを確信します。

で、その文章力を磨いたきっかけになったのが「侍魂」の先行者の記事なんで、アレがなければボクかのもなく、ボクかのがなければ別れていた夫婦もいるかと思うと、なんというか「影響力ってすごいなぁ」と実感する次第であります。

良いブログ書きたいです

なのでまぁ、ブログといえどもどう影響を与えるかもわからない。それならあなたのブログを読んで影響を受けました、といわれても恥のないような日記を書き連ねていきたいですね。

このブログ自体が恥の集合体、というのはさておいても。

踏ん張りましょう

まぁ、皆さん、適当に恥を書き捨てながら踏ん張りましょう。でわ。

くらげ

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