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自分を語ることは障害を語ること、障害を語ることは生きる意味を見つけることってお話

こんばんわ。くらげです。

対談を更新しました

今週の対談を配信しました。

今週はADHDにとって言葉というのは消えるもので言った本人もあまり覚えてないもんなんだよなあ、というお話です。ADHDでなぜ人に約束を守らない人と言われるのかに悩んでいる人はぜひご一読を。

自分は何故か書くのか

本日、自分コンテンツ委員会という企画で講師をしてきした。

先日参加した企画で知り合った方がこういう企画をするというので、ブログとかで自分のことを切り貼りして書いているから自分で自分のコンテンツ化は下手ではない、ということで売り込んだら「じゃ、講師してください」となったので。

(アイキャッチ:大分県佐伯市にて講演中のくらげ) こんばんわ。くらげです。 尻が痛い いきなり尾てい骨周辺が腫れて刺激すると飛び上がる...

まぁ、頓珍漢なことも言いまくってたと思うのですが、色々話す中で「自分はなぜ語るのか」ということを久々に問い詰めることができたと思います。

障害の意味を探す

文章の種類にも色々ありますけど、ボクの書きたい文章は基本的に「自分のこと」に志向しています。

「自分は何を考えているか」とか「自分の生きる意味は何なんだろう」ということを(あまりは見えないでしょうけど)書いているわけです。

その中で大きなウェイトを占めるのは「障害ってなんだろう」というところですね。障害を持って、それゆえに「できること/できないこと」を探し求めてる旅がブログ執筆なりなんなりなのかもしれません。

ある意味「書きたいから書く」というか「書かなければいけない」的な切迫感のほうが結構強いかもしれませんね。

意味が無いけど探す価値はある

とはいえ、障害を「持つ」ことは現象なので、その意味を証明することはできません。なので、「意味を自分でくっつけてやる」という作業がボクにとっては必要なんだろうな、と。

いや、障害は障害としてあるので「くっつけるもなにもなかろう」と言う向きもありますが、やはり「障害があるからこうなった」みたいなポジティブな結論がないと悲しいものはあります。

障害があることで悲しいこと・苦しいことは現在進行形で山ほどあります。これは『自然な状態』ではアタリマエのことです。

ですから、せめて自分自身で「障害があることによるよかったこと」「障害をもつ意味」を作ってやらないと生きていくのが辛いだけになりがちです。

だから、ある意味書くことで「生きている意味」を積み上げていく途中なんだなぁ、と。

こんばんわ。くらげです。 早くもゴールデンウィーク最終日ですが皆さん如何お過ごしでしょうか。 ボクはゴールデンウィークは毎年山奥...

まぁ、一回一回あたりの記事なんぞ塵みたいなもんですけども、それもまぁ235回も積もれば結構いい具合に小山になるもんでして、ブログを書くことで「人生の振り返る」がだいぶできてきたな~という実感はあります。

なので、人生に悩んでいる人は、いちど文章を書く勉強をしてみてはいかがでしょうか。お安く教えますよ?

踏ん張りましょう

といわけできょうはこれくらいで。皆さん、適当に自分を表現しつつふんばりましょう。でわ。

くらげ

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くらげ

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