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シンプルに生きるとはかっての夢や希望を削ぎ落としていく行為なのかなというお話

こんばんは。くらげです。

スタンドデスクがいい感じ

ここ一年ほどずっと腰が痛いので立ちながら作業ができるスタンドデスクが欲しかったんですが、安いものでも8000円くらいするので躊躇していたんですよね。(185cmという高身長なので合う机がなかったこともあったのですが)

先日、カメラの三脚に取り付けるパソコン台なるものを見つけまして、2000円という安価だったので布団乾燥機を買うついでに購入しました。

私の場合、一番高い位置に三脚を伸ばしてちょうど目の前に来ますけど、PCで動画を見るときは全く屈まなくていいので背筋がちゃんと伸びるのでいいですね。

書物に関しては流石に揺れるので長時間使うのは実用的ではないんですが、机に置くよりも精度良く音声入力が認識してくれるのでブログや長文の下書きではうまく機能しています。

このスタンドデスクを使ってから腰の痛みや足の痛みがだいぶ和らいできたので、ずっと座っていることは、とても腰にとって負担になっていたのかなと今更ながら思いました。とりあえずこちらも1か月2か月と使ってみて面白いことがあればまたブログのネタにしたいですね。

シンプルに生きようとすると迷走する

今年の目標の一つに「シンプルに生きる」というのがあるんですが、シンプルに生きるとはどういうことかというのを考えています。できるだけやることを減らして本質的に生きるというのがあるんでしょうけど、本質ってなんだって話になりますよね。

自分とは何なんだとか、この先どうなりたいのかという問題を直視することであるんでしょうけど、これまでの35年間だいぶサボってきたので不惑を近くにして迷いに迷っております。

やっぱりずっとログを取ってみると仕事や家事を真面目にやったら、勉強や読書に当てる時間なんて本当に少なくて、あれもこれもはできないですよね。

そうなると、シンプルに生きるということは「やらないことを増やして行為」でもあって、何もやらないかを選ぶことは非常に勇気のいる行為だなぁと。なんでもかんでも「とりあえずやってみて、ダメだったら次に行こう!」というのは「何かを捨てるという決断」をしなくても良いという意味では安易かつ若い人の特権的な生き方なんでしょうねぇ。

一つ一つ「やるべきこと」を厳選していくというのは、これまで「やりたいなぁ」とか「なりたいなぁ」という夢や希望を削るようにも感じて辛いものがあるのですが、本当に「出来ること」をしたいなぁ、と考えたら受け入れなければならない痛みなんでしょうね。

いやはや、口で「シンプルに生きる」というのはとても簡単ですが、実践しようとしてみるとなかなか大変なものです。まぁ、何ごとも真面目にやると大変なんでしょけどね。

このくらいで

では、本日はこれくらいで。皆様、必要なことを選びつつ踏ん張っていきましょう。では。

くらげ

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