33歳前夜に考える発達障害の歳の認識と人格構成要素のお話

こんばんわ。くらげです。

発達障害者の読書について

今週のnoteを更新しました。

今週のnoteは発達障害者の読書についてです。特に「なぜ本が読めないのか」「どうやって本が読めるようになったか」について寺島さんの息子さんを例に語っています。

内容的に読書嫌いな健常児でも応用できる話でもあると思いますので、興味がありましたらぜひ一読いただければと。

誕生日前夜祭

さて、べつに対してめでたくもなんともないことですが、明日(3月13日)で33歳になります。

33歳というのはボクにとってはどうも宙ぶらりんで合わない刀と鞘のように収まりが悪い歳です。人生の折り返しであと数年というところですが、達観するほどの経験を積み重ねてるわけでもなく、なにかこう、凪のようなのっぺりだらりな風もなく前に進むでも後ろに下がるでもないそんなお年頃です。

なんというか、全然精神的に30歳を3年目でこれかよ、という。全然成長した感がないですねぇとかそんなことを考えてたらこんなツイートが。

これ、まんまボクだなと、と感じたので以下のようなツイートを。

書いてて悲しくなるので誕生日前にこういう書くのやめましょう。

人間という複雑な構築物

30歳になったら

30代といえばいい加減に成熟してきて社会人として経験も積んできて大きなプロジェクトも任されるようになってきて、というのが相場だそうですが、ボクはそういう華やかさから縁遠く、下っ端として目立たずひっそりと低収入で働き続けるのみです。

年齢を見据えて「年相応の仕事」を考えると「自分は何やっているんだろうなぁ」と焦燥で胸が痛くなり、「障害がなければもっと生活が楽なのかなぁ」と忸怩たる思いが去来します。

一方で「障害者」としては現状でも充分過ぎるほどに自立できているということと、障害がなければ本を出すこともなかっただろうなということも認めざるを得ない。

どちらも〈自分〉

これはどっちが正しい認識だというのではなくて、「人間」「男」「社会人」の自分と、障害者の自分という切り口のかたちが違うんですね。

ボクには障害・病気だけで聴覚障害・ADHD・躁鬱という要素があります。それとはべつに「男」なり「職場の人材」なり「東京都民」で「山形出身」みたいな材料もある。それぞれが組み上がってなおかつ相互に影響しつつ人格というものが立ち現れる。

ですからどの要素を軸にして考えるかで自分の有り様すらぜんぜん変わってしまう、というのは普通のことです。なのでまぁ、心に去来する痛々しい焦燥も曖昧な満足感も一度カットしてクリップボードに置いておき、「今、何をすべきか」を考えて前に進んでいくしかないんだよなぁ、と。

ブログは1日を生きた証

もう少し具体的に落とし込むと、悲観しすぎることなくといっても楽観だけでもなく、「自分の生活・仕事のノウハウ」を蓄積して少しでも精神的・肉体的な負担を減らしながら生きていく。1日1日辛いけど生きながらえていく。

まぁ、このブログは毎日毎日の一里塚であり、自分が楽になるためのノウハウの集積ということなんですね。つまり、ブログを書くのは結局は自分のための他ならない。そのついでに誰かの役に立てば良いかな、と。

ちなみに、これまで書いたノウハウとしてはこのカテゴリにまとまってます。

そのうち整理してリストアップしたいですね。

では今日はこれくらいで。でわ。

くらげ

This website uses cookies.