障害者支援には「支える才能」だけでなく「支えられる才能」が必要だよね!ってお話

こんばんわ。くらげです。

忙しい一週間でした

本日は年度初め初っぱなから休日出勤で残業マシマシという疲労感たっぷりになる絶妙なブレンドな一日でしたねた。先ほど帰宅してご飯作って一週間ぶりのお酒を嗜んでおります。

疲れすぎると塩分補給が大事といいますが、本日は「しょっぱいもの食いてぇ、飲みてぇ」とうめきながらスーパーを徘徊しておりまして、お酒も普段は「塩分高すぎるから禁止!」とあおに命令されている男梅サワーを許可を得て買いました。うめぇ。梅だけに。

で、明日はお休みですが、noteの更新という作業が待っております。ここまで忙しい一週間は久々ですね。来週を過ぎればだいぶ落ち着くはずなのですが・・・。もう一息頑張ります。

ブログの効用

しかし、今週のブログは泣き言を書いたりいきなり回復したり、と感情のアップダウンが非常に激しかったですね。とはいえ、リアルな生活はちゃんと仕事をしてご飯を作ってその他家事もそつなくこなしているので安定していました。ブログを書くことで生活のリズムを整え感情を整理できているんだなぁ、と実感しました。

仕事のきつさは人間関係のきつさ

物理的なコミュ障

とはいえ、フルタイムをしつつウェブライターとかやってた時期もあるので仕事そのものの長時間化が辛いというとぜんぜんそういうわけじゃないんですが、いかんせん残業は人間関係の問題でもあるので物理的な意味でのコミュ障には辛いっすね。

一人で仕事することすらままならない

障害を持っているとどうしても健常者の集団の中で異質な存在です。そして「自分は異質な存在だ」と常に認識し続けるのは一種の精神的な拷問の他なりません。

なので、ボクは常に「一人で仕事してぇ」と願っています。で、それを実現するためにフリーライターに転向できないかと考えていろいろやっれみましたが、聴覚障害を持っていると取材や電話が出来ないという現実に直面して諦めました。

支えられる才能

障害を持っているとどれほど一人で自立して生きたいと思っても誰かの支えがなくても生きていけない存在です。まぁ、健常者だろうとこの社会でスタンドアロンで生きていけるわけではないのですが。

ただ、支えとは支える方だけではなく、支えられる方にもわりと才覚が必要でして、ボクの場合は「支援に対して素直に感謝する」という才覚に根本的な欠陥があるようです。

前にも書きましたが、ボクは障害に対する支援は一種の取引だと考えいるので、無条件に支えられてありがたい、で終わらすことが出来ないです。どこかで相手に利益を与えないと、という意識があります。それが出来ないとなんか借りを作った気がして落ち着かないんですね。

素直になりましょう

まぁ、障害を持ってこういう性格だとわりとシンプルに病むので、若い障害者の皆様は「素直に好意を受け止められるだけのキャパシティ」は開けておきましょう。おじさんはそんなキャパを持つ心はへし折れたのでもう駄目ですね。まぁ、こんな風に難儀していても、なんとか生きていけるものです。意外と世間というものは懐深いものですから、皆さん、適度に踏ん張りましょう。

今日はこれくらいで。でわ。

くらげ

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