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右耳が全然聞こえなくなって人工内耳を入れてよかったのかどうかを再考したってお話

こんばんは。くらげです。

弾丸仙台日帰りツアー

本日は人工内耳のリハビリのため仙台に行ってきました。

人工内耳は本来、約半年に1回は病院に行って調整しないと駄目なんですが、私の場合手術した病院が仙台で、生活しているのが東京というのがあって、1年間に1回調整に行くか行かないかぐらいなんですよね。

今回はこれまで担当している言語聴覚士の方が転勤するということもあってその前に一度行っていこうかと。それと、いい機会なので人工内耳のリハビリなどを東京の病院に転院しようと考えていて、紹介状を書いてもらうと思って仙台に行ってきました。

時間もお金もないのでちょっと本当に日帰り弾丸ツアーで、朝8時に家を出て20時には帰宅していました。仙台に行った証はアイキャッチに使った牛たんくらいですね。

ほんとに疲れましたけど、久々に聴力検査を行うことでなかなか面白いことが分かりました。

もうほとんど聞こえていない

私は左の耳に埋めた人工内耳をメインに使って話を聞いていますが、右耳には補聴器をつけています。こちらの耳は今日検査したら補聴器をつけてもほとんど言葉が判別できないくらいには聴力が低下していました。

そもそもが進行性難聴のため将来的に聴力が落ちる可能性があるということで早期に人工内耳の手術を受けたのですが、それから13年経って人工内耳をつけている側は普通に電話をしたりすることができます。一方で手術をしなかった方は実際に聴力が落ちているということで、なんかこう「いい判断だったかな」とは。

同時に、人工内耳使わなくても当たり前に生活が営めるのことができれば一番良いことなのですが、現状では「聞こえることがいいことだ」という現実はどこまでも事実として横たわっているわけですね。

ろう学校出身の聴覚障害者としては「人工内耳を活用することは聴覚障害者が聴覚障害があるままでは生きにくいという現状を追認しているのではないか」という忸怩たる思いもあるんですが、「今から人工内耳がない生活が出来るか」と問われれば無理ですねぇ。やっぱりとにかく便利ですもん聞こえる事って。

人工内耳が最高ではないけども

では、聴覚障害者が皆人工内耳を受け入れるべきかというと、やっぱり頭部に機械を埋め込むという不可逆的な手術ですし、手術を受ければ誰も彼もが効果が出るわけではないので、適合しなかった時のリスクはあります。

ただ、「人工内耳という選択肢はある」ということは知っておいていいし、その上で「手話」を主たる言語として生きることも、はたまた補聴器で頑張ってくという道を「自由意思」として選択できればいいんだけどなぁ、と。

また、いずれにせよ自分で判断するだけの知識が得ていくこと、そしてそういう知識を公平に提供していけるところの拡充は大事なのだろうなぁ、とあちこちで見かける「イデオロギー闘争」を眺めながら。

このくらいで

では、本日はこれくらいで。皆様、自分の選択を大事にしつつ踏ん張っていきましょう。では。

くらげ

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