「不労所得」が欲しい
私のような怠け者が喉から出るほど欲しいものが「不労所得」だ。不労所得とは労働の対価として直接得るタイプの賃金や報酬ではなく、ある状態を維持していれば継続的に得ることができる所得である。一般的には「寝ていてもお金が入ってくる状態」というイメージかもしれない。
私は働くのが嫌いではないのだが、体調が不安定なため、一定時間決まったところで仕事をするというのが大変難しい。今の自宅でライターや情報キュレーターのような仕事をしつつ、完全リモートでベンチャー企業の社員などをやっている。
お陰様で食うだけならそれほど困らない収益は出ているのが、体調に不安を抱えていると「突然仕事が出来なくなって収益が途絶える」という不安は常に付きまとう。普通のサラリーマンもそうだとは思うのだが、フリーランス的な仕事をしていると収入を保証するものは殆どない。だから、なにかしらの「命綱」となるようなものは持っておきたい、という気持ちは前からかなり強いのである。
しかし、「不労所得」として真っ先に挙げられるであろう預金・貯蓄・債権の利子だったり、株式の配当というものはあいにく持ち合わせが全くないし、不動産経営をするような元手も土地も財産もない。あえていえば、数年前に出した本の電子書籍の印税が年あたり数万円入ってくるくらいである。まぁ、手を動かすのを止めたらその日の収入は殆どないみたいなデジタル日雇いみたいな生き方をしているわけである。
改めてブログを書いてみたいのだけど
この不安定な状態を少しでも解消するためには、何かしらの「手を動かさない日でもある程度の収入が入ってくる」という仕組みを作る必要がある。私が持っているスキルは見よう見まねで覚えた「ものを書く」ことくらいで、専門的な知識も技術もない。しかし、文章力だけで何ができるかと考えたら、ブログを収益が出る形で作り直していくのが(稼げる額はさておき)一番手っ取り早いのは間違いない。
幸い、このブログを熱心に更新していた時期にGoogle AdSenseの審査は通っていたし、アマゾンアフィリエイトプログラムにも参加できている。まぁ、ブログを書くことが不労所得になるかといえば常に書き続ける必要があるし、ちゃんと収益を得るためには普段から書き直しもしないといけないようなので労働の対価となるわけなのだけども、うまく仕組みが動き始めれば全く手を動かしていない時期でも少しはマシなのではないだろうか、という期待はある。
となると、あとはブログの記事を書いていけばいいのだけど、どうもうまく書き始めることができない。普段の仕事では基本的にクライアントから依頼されたテーマに沿ってさまざまな情報を集めて規定の方法で提出するわけなので、自分で企画してものを書くということはそれほど多くない。だから何を書くかでひたすら悩んでは書く時間がなくなる、というのを数年単位で継続してるわけである。
「失敗の科学」に学ぶ
話は変わるが、先日から「失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織」(マシュー・サイド)という本を読んでいる。この本はタイトルの通り「人はなぜ失敗するのか」を丹念に調査し、これまでの失敗から何が学べて何を活かすことができるのかを導く内容になっている。
医療業界と航空業界の違いにはじまり、様々な示唆に富んだ本であるが、アメリカで洗濯用の粉末洗剤を製造・販売している大手メーカー「ユニリーバ」の事例がとても興味深かった。
粉末洗剤を作るためには洗剤原料を高圧噴射して瞬時に乾燥させる必要があるが、かつてのこの高圧噴射用のノズルは短期間で詰まってしまうため、洗剤の粒子の大きさが揃わないという大きな問題を抱えていた。そのためユニリーバは粉末洗剤を製造するために最適な形状のノズルを開発するために一流の数学者や流体力学・化学分析分野のエキスパートを雇用した。彼らは長期間にわたって研究を行って新しいデザインのノズルを開発したが見事に失敗してしまった。
そこでユニリーバはほとんどやぶれかぶれで時差の生物学者チームに開発を任せてみた。普通に考えて流体力学や数学をマスターしていない生物学者にとって、 このようなノズルの開発は不可能なはずである。
しかし、生物学者たちは目詰まりするノズルを10個用意して、一つ一つに微妙な変化を加えながらどんな違いが出るかをテストし続けた。その中からわずかでも良い変化があったものを見つけ、その変化があったものの複製を10個作ってまた変化を加え、その中から生産効率が上がったものをさらにコピーするという手順で改良を進めていった。その結果、45世代のモデルと449回の失敗を経て完成したノズルは期待通りの性能を発揮し、ユニリーバに大きな利益をもたらした。
この改良に成功したのは、著者によれば生物学者たちが「生物の進化」に精通していたからだという。進化そのものに計画はなく、世代を重ねることで自然に適用していく。このような品種改良は我々が今当たり前に食べている穀物・野菜・家畜といったあらゆるもので応用されていることだが、それを機械のデザインにも応用したわけだ。
進化は「あえて無数に間違えた結果、より正解に近づくアプローチ」だという。失敗したものは切り捨てられ、よりわずかでも成功した物が生き残る。そこになにかの思考や目的のあるデザインはなく、しかし、生物は現在の科学でも達成できないほどの機能を持っている。そこから導かれる教訓は正解に最も早くたどり着くための手段は、「考るな、間違えろ」ということである。
ブログを書くことを恐れないために
このエピソードを読みながら、自分がブログを書けないことの大きな理由の一つに「ブログを書くことに失敗したらどうしよう」という気持ちがかなりの割合を占めていることに気づいた。記事を書いてもアクセスがなければ凹むだろうし、そもそも下手な記事を書いたらどうしようとグルグル思い悩んでしまう。
しかし、さまざまなブロガーが「ブログは量が質に勝る」と指摘している通り、ブログ記事というのは最初は下手な記事しか書けなくても改良を続けることで少しずつPVが上がっていくものだ。つまり、無数の失敗を積み重ねる中で「少しでも良いもの」を探しだして進化させていくプロセスなのだろう。
そう考えれば、自分の書く記事が下手だろうがなんだろうが別に構わない。そもそも失敗したところで受ける損害というものはせいぜい記事を書くために使った数時間にすぎない。というわけで、あまり深く考えず、なにか思いついたことを自由に書き続け、ある程度記事が溜まった後に改良案を考えていけばいいのではないか。というわけで、少しずつ記事を書き溜めていきたいと思う。
まぁ、まずは1年くらいは深く考えずにいろいろ書いていければいいと思う。どうぞよろしくお願いいたします。