相模原障害者殺傷事件から1年に想う「障害者は不幸なだけの存在ではない」というお話

思考メモ
kelseyannvere / Pixabay

こんばんわ。くらげです。

上司を鉄パイプで殴りつける夢を見たり、明け方にこむら返りでたたき起こされたりとさんざんな目にあった今朝でした。ストレスたまってるんでしょうか。

相模原殺傷事件から1年

さて、相模原障害者施設殺傷事件から早くも1年経ちましたが、なんというか一障害者としてあの事件をどうとらえたらいいか未だにわからない。

というか、自分の中では既に風化していて当時の怒りも何もがわりと消えているんですよね。というか、あの事件に対して実のところ自分は「当事者」にはなれなかったな、と。

障害者もいろいろ

まぁ、一言で障害者といっても本当に幅があってその意味合いもかなり曖昧です。そういう中で障害者といってもそれぞれの持つ事情も背景も違いますから、あの事件に同じ思いを持て、というのも難しいというか無理です。

不幸だけの存在ではない

しかし、「障害者は不幸を作ることしかできない」というのは明らかに「間違っている」としか言いようがないですよね。

障害者のボク自身が同じく障害のある彼女と一緒にまぁそこそこ不幸でもあり幸福でもあり、という境目をくらげのようにぷかぷかと行ったり来たりです。なので、障害を持っているから不幸を作るというのもこれはまぁ狭い見方でしかないわけですな。

障害を持っていることは不幸だ。でも救いを求めないのはもっと不幸だ。
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あの容疑者は「意思疎通のできない障害者」に限定して「不幸しか作らない」といったかもしれませんが、それでもまぁ「不幸なこともある」けどもやはり関わってしまえば「不幸だけ」を作ることはできないわけですよ。それが縁というもので。(DVとかはだからやっかいでもあるのですが)

差別的な事件ですらない

まぁ、なんだ。人の命は地球より云々とは全く思いませんが、他者の命の軽重を医学的にも法学的にも素人であるあの容疑者がつけていいわけもないし、ましてや殺してもいいわけではない、というのは当たり前のことです。それは障害云々は関係ないところです。

障害者差別の意識やそれを肯定する空気が社会にあるのはボク自身が肌身で感じていますが、それはそれとしてあの事件を「社会的な差別」とはボクの中で関わらないんですよ。

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あの事件を防ぐためにどうすればいいのか、みたいな話に関しては介護福祉士のあおとも話すのですが、変な考えを抱くのは止めようがないし実際に働いている色々起きると。なので、実行力さえあれば19人はともかく殺人事件が起きる可能性は0にはできない、と。

まぁ、ボクですらあおがパニック起こしまくって大変つらいときはよからぬ考えを抱くときもありますよね。そういう一時的なモノは誰にでもふとよぎるのですよ。だからといって殺していいわけがない、というのは当たり前のことです。

あれはただの殺人事件であってそれ以上の何でも無いと。ごだごだ言わずに19人殺して多数のけが人を生み出した、ということだけです。事件単体に対しては今はそれだけです。

まぁ、その後の諸々に非常にアレなものを感じて色々もやもやするのですが、それはそれとして別な話として。こっちに関しては何できることを考えていきたいと思います。

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さて、今日はこれくらいで。皆さん、生きる理由を探す必要などない社会を目指して踏ん張りましょう。でわ。

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