相貌失認の利点から始まるヘルプマークの必要性のお話

思考メモ
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こんばんわ。くらげです。

相貌失認も使い方次第

K氏、間違われる

昨日はボクと同じくらいの身長のK氏と飲んでいたのですが、妻のあおが「二人並んでいるとどっちがどっちだかかわからない」と悩んでいました。

あおは人の顔がわかりません。どんな感じかはあお本人がツイートしていますが、こういう困りごとがあります。

じゃ、どうやって人を判断しているかというと、声や雰囲気、身長、メガネなどのアクセサリーや歯並びで覚えています。なので、ボクと同じくらいの身長のK氏と並んでいると混乱したんですね。

ボクとあおとはもう10年つきあってるんですけど、あおは毎日ボクの顔を覚え直しているんですよね。大変ですねぇ。まぁ、「それが普通だからあんまり大変とか考えたことないけどね」ということですけど。

興味あることにはすごい

ただ、昨日飲んいたB氏とは1年半ぶりに会ったのですがあおは「メガネ替えました?」と真っ先に聞くくらいにはメガネに関する記憶力は凄いです。あと、補聴器も「あ、あの人補聴器変わってるね」と教えてくれることが多いですね。関心があるポイントには凄まじい記憶力が発揮されるんですけど。

相貌失認という美点

あと、この「顔がわからない」というのはちょっとした才能でもあるんですね。人の顔の美醜で人を判断しない(できない)んですよね。

そこ、「だからおまえとつきあえてるんだね」とか思ったやつは手を挙げなさい。くらげさん怒りませんから。

あおは初対面の人にはかなり警戒感を持ちますが、慣れてしまえばかなり分け隔てなくつきあいます。ボクは結構人の外見を気にするので素直にあおの美点の一つですねぇ。

外見は能力?

メラビアンの法則

人間、どうしても外見で人に対する偏見を持ってしまいがちです。「メラビアンの法則」というものがありまして、これによれば他人に影響を及ぼすのは「言語情報7%、聴覚情報36%、視覚情報が55%」だそうですよ。

もちろん、視覚情報とは顔だけでなく動きとか服とかもあるんですけど、顔というのは人の判断材料としてはかなり上位です。

顔の良さは才能か

就活においても顔の善し悪しはかなり影響があります。表向きは「顔は採用基準にならない」となっていても、人事の心理的な判断なり、「顔がよいこと」が営業成績に結びつく仕事もあるよね、ということで「顔」も能力の一つとされます。

まぁ、顔が能力の一つというのは、体格に恵まれてるとか生まれつきスポーツの才覚があるとか、記憶力がまんべんなく優れているとかと同じ種類の「生まれ持った条件の一つ」と考えればまぁ納得は出来なくはないのですが、色々考えるわけです。

とはいえ、見た目の善し悪しというのは感情的にも強く働くものなので、見た目にこだわらずに人と接することは難しい。というか、ボクは難しいです。で、人を見た目で判断してくっそしんどいおもいをしたのは無数にあるよね!いい加減学ぼうね!

まぁ、そのへんの難しさをあっさりパスして「顔?しらんがな。それよりすげぇ話面白い人だったよ」と言えるあおが心底眩しかったりしますよ。

見えない障害とヘルプマーク

見えない障害

ところで、見た目の話で思い出すのは、「見えない障害」問題です。

「見えない障害」とは何か。障害とひとくくりにされますが、主に「身体障害」「知的障害」「精神障害」の3つに分類され、それぞれの中でも大変細かく別れています。その中で、一目で障害があるとわかる人、すなわち車いすや腕・足の欠損が目立つ人を「見える障害者」、そうでない人を「見えない障害者」と呼ぶことが多い。最近では発達障害者や知的障害者が自分たちのことを「見えない障害」と言うことが増えました。

これの何が問題か。同じ障害者でも「助けてもらいやすい障害とそうでない障害」が歴然としてある、ということです。

発達障害者や精神障害者は見た目では何かがおかしいことがあってもはっきりとはわかりません。まぁ、実際おかしいのですが、どうおかしいのかは知らない人はまったくわからないわけですよ。

一方、車いす利用者などは(当事者から不完全にせよ)社会的な認知も進み、積極的に手助けしてもらえる、という印象が「見えない障害者」サイドからはかなりうらやましがられるわけです。

ヘルプマークの必要性

なので、ヘルプマークのような「シンボル」が必要とされるんですね。「私は問題がある」と情報を周囲に発信していかないと「わからないまま」なんですね。

なんともなさそうなのになんでヘルプマークつけてるの」と不思議がられた話を聞くことがありますが、一見なんともなさそうだからこそ不可欠なんです。

ただ、ヘルプマークも現在はまだ東京都と一部政令都市等で配布されるのみですし、周知が進んでいるわけでもない。法的に何か根拠があるわけでもないので、つけてるから配慮しなければならない、というわけでもなく。ぶっちゃけちょっとしたお守り風アクセサリーでございます。

とはいえ、面白いのでボクもあおも一応ヘルプマークはカバンにつけています。ボクは特に役立ったことはないですが、あおはパニック起こしそうなときにヘルプマークを出して席を譲ってもらって事なきを得たことがあります。完全に無意味、というわけでもないですね。

ヘルプマークは見えない障害者にとって話題になるくらいには「シンボル=見た目の差違」は大事なことです。世界は情報で出来てるので、出すべき情報はどんどん出していけるといいこともありますよ。逆に面倒くさいこともありますが。

まぁ、今日はこれくらいで。では。

ところであおが「あんたの顔は神様が適当に接着剤でくっつけたような顔というのはわかった」と言うのですが、どうしましょうかねコレ。

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