こんばんは。くらげです。
ツイッターを見なくなったら
最近、書くものが増えて多忙になり、また、読書の時間を増やそうとがんばっていてツイッターを見る暇が全然なくなりました。
まぁ、これまでも時折ツイッター疲れで一時離脱を繰り返しているのですが、現在は「ツイッターに頼らないネット生活」を模索しているところですので、このままいけるところまであまり書き込みしないでいきたいと思います。
荒れた海を泳ぐように
ツイッター廃人がどういう風の吹き回しでツイッターからの脱却なぞ口走っているかといいますと、単純にTLでいつも誰かが喧嘩していて気持ちのいいものではなくなりました。
かなり大幅にリムーブやミュートしたんですけども、それでも「楽しさ」よりも「いやな思いを引きずること」が多くなったので、それなら無理してタイムラインを追うまでもないかな、と。余計なこといいたくなりますし。
まぁ、自分が荒れた海に飛び込んで必死に泳いでる間は楽しくても、一度陸に上がって「なんでこんな荒れたところで泳いでるんだろうな」という醒めみたいなのがですね・・・。
社会問題に無関心に
ツイッターを減らして結構経ちますけど、その間の変化として「社会問題」にあまり関心がなくなったことがありますね。
ツイッターでは24時間、だれかが「社会問題」について話していますが、SNSから離れてニュースサイトや新聞、テレビしか見ない生活を続けていると「社会に対する怒り」ってのは自分の場合はそう沸いてこない。
ひどいニュースとかを見ても「ツイッターではこんな意見が出てるんだろうな」という感想は出てくるのですが、問題を問題と捕えきれないことが多い、というのがわかってきました。
怒りの理由のアウトソーシング
これはなぜだ、と考えてみるとボク自身が本当に関心を持っていることなんてさほどない。他の人が「これはひどい」と怒るから自分も怒る、みたいな「怒る理由のアウトソーシング」を続けていたのではないかと。
では、この先どうすればいいか、といえば、「自分で怒る力」を育てることでしょうか。他人の問題意識の共有ではなく、自分自身がこの社会に何に本気で怒り、変えたいと思うのか。それを感じ取る力を伸ばしたいですね。
そのためにも、一度「情報の洪水」から距離を置いてみるのも修行ですか。
踏ん張りましょう
では、今日はこれくらいで。皆様、怒りの洪水に流されず踏ん張りましょう。でわ。