こんばんは。くらげです。
久々にバズりました
昨日のブログ記事が盛大に(このブログにしては)バズっております。フォロワーが1万人を超える方からRTされると桁違いの威力だね・・・。
まぁ、内容的にも結構がんばって書いたので、多くの方に読まれるのは嬉しいのですが、誤解を生む部分がありそうなので補足というか蛇足的なものを一つ。
不登校は選択肢
昨日のブログでは「学校に行かなくてもいいじゃない?」と盛大にアジテーションしましたが、発達障害があるなら必ず学校に行かない方がいいかというとそれは違います。
えいくら葛真さん(ツイートした方)の娘さんに関しては、過去ツイやDMでのやりとりなどをさせていただき、自分の知っている事例からしても無理に学校に行く必要はないのではないか、自分で学習する環境を作れるのではないか、と感じました。
発達障害といってもいろいろで、ピーキーな性能割り振りしてバランス悪い方もいれば、配慮があればほとんど問題なく勉強や仕事ができる人もいます。学校に行かない、フリースクールに行く、というのもまた一つの選択肢だ、ということですね。
学校は合理的配慮をする義務がある
これはツイッターで突っ込まれて思い出したのですが、公立学校は「合理的配慮を提供する義務」があります。ここで公立学校での合理的配慮がなにかを文部科学省の資料から引くと
障害のある子どもが、他の子どもと平等に「教育を受ける権利」を享有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことであり、障害のある子どもに対し、その状況に応じて、学校教育を受ける場合に個別に必要とされるもの」であり、「学校の設置者及び学校に対して、体制面、財政面において、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」
と定義されています。ですから、特に理由もなく「この子の学習段階にあわせた教育ができない」というのは明確に障害者差別解消法に違反しており、地域の行政団体の窓口に訴えることができます。(窓口は地方自治体によって変わります)
まぁ、学校でどういう手順で合理的配慮を求めればいいかは、専門家の記事がありますのでこちらをご覧くださいませ。
で、何を言いたいかというと、フリースクールに通ったり在宅で勉強するというのは結構ハードルが高いものですから、学校と話し合うだけ話し合って学校で学ぶ、というほうが簡単な場合もありますよね。そのあたりは「元々狭い選択肢をむりやり広げる」的な感覚でありますが。
どんな教育が正しいのか
では、「どんな障害の人がどこでどんな教育を受ければいいのか」ということに対して答えはあるでしょうか。ボクはないと思っています。
ボクは中学2年の時の聾学校に転校して、そのあとは社会に出るまで聾学校で育ちました。もし、聾学校にいかなかったら今頃どうしようもなかったでしょう。
でも、聴覚障害者はみんな聾学校に行くべきともいえません。地方聾学校の教育体制があまりよろしくないところもあり、就労しても基礎学力のなさに苦労するケースも多々聞いています。逆に、全く聞こえなくても普通学校に進学して東大に行った人もいます。
発達障害児も普通学校でこそ芽吹く子供もいれば、特別支援学校ではぐくむべき子供もいます。一人でがんがん学べるけど社会的生活を送れない子供もいます。どの子供にどんな進路を準備するかは普通の子でもすごく難しいことですが、障害児に対しては暗闇で針の穴に糸を通すようなもんですね。結局は「運」が大きく左右してしまうのは否めません。
ですが、親が子供の障害について理解することでろうそくの光の中で刺繍をするような難易度にすることは可能だと思っています。
ですから、親の意識・学ぶ力ってのも大切になってくるんだよなぁ、とは。まぁ、やるだけやってあとは子供を信じるくらいしかできないんですけども。ま、「何のために子供を学ばせるか」ってポリシーはしっかりしておいて損はないんじゃないでしょうか。放言ですけど。
踏ん張りましょう
では、今日はこれくらいで。皆様、どんな風に生きるためにどんな学びをすればいいか考えつつ踏ん張りましょう。では。