こんばんは。くらげです。
身近に読者はいるもので
最近、どういうわけか自著「ボクの彼女は発達障害者」の読者が思いがけないところにいることが相次いでいます。
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ツイッターで話しかけた人が本を読んで勉強した!と言ってきたり、職場の方が「え、くらげさんってうちにいたんですか!?」みたいに驚いている人がいたと聞いたりと。
まぁ、合わせて2万部近く売れている(ハズ)なのでそりゃあちこちに本を読んでくれた方はいるのでしょうが、直接「読みました」とすぐ近くで言われるとびっくりしますね。なんかすみません、リアルがこんなんで、となります。いや、読んでくれたことはほんと嬉しいのですけども!
ボクの彼女は発達障害の意義みたいな話
ボクの彼女は発達障害の読者の声でけっこう多いのは「とにかく読みやすい」というのがあります。さっと読めて理解しやすい、とかそのへんですね。まぁ、ボクに文章力がないので奇を衒うことなく素直に書いたが良かったようです(笑)
また、発達障害というテーマを扱いながら気楽に肩の力を抜いて読める本で、家族や友人にも勧めやすい、という感想も頂いております。そのへんは「入り口としてとっつきやすい本を…」と編集者と頭をひねった甲斐がありました。
発刊当時、すでに発達障害の本は多数出ていましたが、専門書や当事者の苦悩みたいな本がほとんどで、「ライトに読める」というのはリサーチしても出てきませんでした。だからこそ、ある意味「頭の悪い本」を書こうとして、その試みはある程度成功しましたね。
もちろん、専門書や当事者の苦悩について深く書かれた本は大事です。しかし、やはり「とっつきにくさ」はあるので、とにかく手にとってもらいやすい、読まれやすいように、と工夫を重ねました。
その結果、「他の障害者本は読んでもらえなかったけどボクかのは親に読んでもらえた」とか「職場で障害を理解してもらうために回覧したら好評だった」とかありがたい使い方をされたともお手紙ありました。こういうお礼をいただくと本当に作者冥利に尽きますよね。
ボクの彼女は発達障害の問題点みたいなもの
ただ、ボクの彼女は発達障害はあくまでも「当事者の身内」(後に自分も診断くらいましたが)という立場で書いたもので、ボク自身は発達障害を専門的に学んだ経験はありません。あくまでも「素人の目線から見てこうだよ」というお話です。
ですから、あまり内容に汎用性はなく、「ボクとあおの関係性」の中で完結している本なんですよね。考えるきっかけにはなっても「解決策」を提示しているわけではありません。そこは各自勉強してくださいねーというスタンスです。
なので、「解決策が今すぐ欲しい!」というような方々には悠長にすぎるでしょうし、「同じようにして失敗した!」って人も多いでしょう。それに関しては自分の力量不足です。すみません。
素人だから書けることもある
ただまぁ、ボクの彼女は発達障害はある意味「素人が書く新鮮さ」がウリなところはあります。だから、下手に発達障害のことを勉強しまくって「専門的な支援」をあおにするとそれはまた違う本になります。
なので、発達障害についてこなれてきた二巻目は一巻目よりインパクトが薄れてしまいましたし、あるとすれば出すかもしれない三巻目の内容をどうするかなぁ、と困っているんですね。どうしましょうかねぇ。ほんと。
出版するという責任
ところで、やはり「出版する」ということはネットが普及した今でもある種の特別性があり、その分、書き手の「責任感」というの重いです。
特に発達障害という微妙なテーマを扱っているので、なお一層「下手なことは書けないなー」という不自由感は書けば書くほど生じています。
でもまぁ、そういう責任感を引き受けてこそ様々な出会いやありがたいことが起きていますので、その責任感を大事にしつつこの先も執筆活動を頑張っていきたいですね。
踏ん張りましょう
では、今回はこれくらいで。皆様、いろいろ考えながら踏ん張りましょう。では。
コメント
まさにこの本のおかげで、自分がもしかしたら発達障害なんじゃないか?という疑問を持つことが出来ました。そういう意味では人生の中の大きな分岐点だったと思っています。2016年の6月頃の話です。
コメントありがとうございます。自分を理解するきっかけになれていたら幸いです。