こんばんわ。くらげです。
200記事超えました
ADHDにあるまじきことですが昨年11月からほぼ毎日ブログを書いています。
で、現在、記事がいくつたまっているんだろうと確認したら、なんと昨日の時点で206記事でしたよ。いつの間にか200記事越え。
100記事を迎えたときは「すげー俺すげー」モードでしたが、200記事になると記事のカウント自体に興味がなくなるくらいの「慣れ」が出てきますね。次の「俺すげー」モードになるのは丸1年通過したらでしょかね?
ボクがブログを開設したのは「他の障害者と交流したい」とか「将来、本を出すときのネタストック」とか「オピニオンサイト!」みたいな願望を持っていましたが、もはや単なる日記サイトであり、社会に対する批評性を失ったただのふぬけたブログであります。
障害者としての視点
障害がコンテンツ
ただ、日記の中に必ずどこか「障害者からの視線」を入れることで「他にはないコンテンツ」を少しは生み出せているんじゃなかなぁ、と思うのですがどうでしょうか。(小声)
このブログはユニークPVで1日300人~400人で、半分近くがリピーターという「固定客」がいる状態です。何度も読むに耐えるネタを書き続けられていると思うと素直にうれしい。これからも読者の皆様に応えられるようゆるく日記を書き続けたいです。
障害を語る人は少ない
ボクの記事は先も書きましたが、日常に起きたことを「障害」を通して感じたこと・考えたことを書き連ねています。
逆に言えばそれだけで、特に有益な情報を提供しているわけでも文章がうまいわけでもない。
しかし、障害ということがコンテンツになるわけですね。
障害者は現在の日本には700万人以上います。
発達障害や精神障害などで障害者は増えていく一方ですし、ご高齢で身体の不自由な人も急増しています。「心身に不調のある人」というくくりでみればマイノリティとはもはや言えない勢力になっています。
しかし、そういう「心身に不調な人」がその人数に見合った情報発信をできているかというと、驚くほど声は小さいように思います。
ネットがこれだけ広がった今でも障害者の生の声、というのはボク程度の意見ですら「珍しい」ものです。
障害を語る難しさ
これはわりと不思議なのですが、他の人に聞くと「障害を言語化する」というのは難しいそうです。
まず、障害とはただでさえ辛いのにそれを深く考えることは厳しいことで、さらにそれを人に伝わるように「説明する」まで整理するにはある程度の訓練が必要だし、障害そのものへの理解も必要になる。
ボクはたまたま自分の障害を語ることだけは得意なわけなのでブログを書けているんですけども、他の障害についてはこれほど熱意を持って書けるわけではない。
あくまでも「ボクの話」なのです。
社会に使える力
でもまぁ、「困っている人の声」をもう少し聞いてブログで発信していくのも一つの自分の能力を社会のために使う、ということではなるのかなぁ、とは思います。
でも、まずは「自分を救う」ことを徹底していって、その余波で「誰かの助け」になればうれしいな、というゆるさで進めていきたいですね。
あまり「人のため」を意識すると疲れますし、ボクはそこまでたいした人間でもないですから。
踏ん張りましょう
では、皆さん、少しずつ「困っている声」を高めながら踏ん張りましょう。でわ。